興正寺村(読み)こうしようじむら

日本歴史地名大系 「興正寺村」の解説

興正寺村
こうしようじむら

[現在地名]砥用町遠野(とおの) 興正寺

北から東にかけては北野(きたの)村・勢井(ぜい)村、南は権正(ごんのかみ)村、西は岩上(いわがみ)村に接する。上益城郡浜町(はままち)(現矢部町)へと至る往還路(現国道二一八号)に沿って中心集落がある。地名の由来は同名の寺院に基づく。宗旨・開基年代などは明確でなく、戦国期に焼亡したと伝える。跡地は現在真宗大谷派西照(さいしよう)寺の所在地とも、禅宗寺院であったともいう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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