日本歴史地名大系 「若代村」の解説 若代村わかしろむら 岡山県:真庭郡勝山町若代村[現在地名]勝山町若代・若代畝(わかしろうね)月田(つきだ)川流域の狭い河岸段丘上の若代と、月田川支流の岩戸谷(いわとだに)川の東の高原地帯である尾中(おなか)あたりの若代畝がある。周辺は五〇〇メートル級の山で東は後谷(うしろだに)村、南は岩井谷(いわいだに)村、西は山を隔てて備中国境、北は下岩(しもいわ)村。東城(とうじよう)往来が通る。室町末期には幕府の御料所であったと思われ、永正八年(一五一一)以前に幕府奉行人の飯尾貞運が「古呂々若代村」の代官職をもっていた(同年一二月二九日「室町幕府奉行人連署奉書」飯尾文書)。なお当地は広峯(ひろみね)神社(現兵庫県姫路市)御師の檀那場で、文明一四年(一四八二)八月一〇日の檀那村書(肥塚家文書)に「わかしろ殿」「あらきのさお太郎大夫」「いわら内尾中」、天文一四年(一五四五)二月吉日の檀那村付帳(同文書)に「いわらのわかしろ一ゑん やとひら太郎ゑもん」「いわらの内あらき村」「とひわたり」「なかいかいち」「ひさむね」「いわらの内をなかむら」などがみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by