朝日日本歴史人物事典 「荒井庄十郎」の解説
荒井庄十郎
江戸中期の阿蘭陀通詞,蘭学者。長崎の生まれ。通詞吉雄幸左衛門の姉の子。通詞西善三郎の養子となり西雅九郎と称し,明和8(1771)年ごろ稽古通詞。のち本姓の荒井に復し,安永7,8(1778,79)年ごろ江戸で平賀源内に学び,杉田玄白の塾でオランダ語を教授。源内没後は官医桂川家に移宅。福知山藩主朽木昌綱の世界地理研究を助けた。玄白ら江戸の蘭学社中が,彼により誘発された点は大きい。次いで会津藩に仕え,松平定信お抱えの石井庄助が『遠西独度涅烏斯草木譜』訳出の際,助訳・校正に当たった。さらに他家に入り森平右衛門と改名。<参考文献>片桐一男「阿蘭陀通詞西雅九郎と江戸の蘭学界」(『白山史学』15,16号)
(吉田厚子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報