江戸中期の蘭方医(らんぽうい)、蘭学者。名は翼(よく)、字(あざな)は子鳳、鷧斎(いさい)のち九幸(きゅうこう)と号し、玄白は通称。学塾を天真楼といい、晩年の別邸を小詩仙堂(しょうしせんどう)という。若狭(わかさ)国(福井県)の小浜(おばま)藩酒井侯の藩医杉田甫仙(ほせん)(1692―1769)の子として江戸の藩邸中屋敷に生まれ、難産であったため、そのとき母を失う。宮瀬竜門(りゅうもん)(1720―1771)に漢学を、幕府医官西玄哲(1681―1760)に蘭方外科を学び、藩医となる。同藩の医師小杉玄適を通じ、山脇東洋(やまわきとうよう)の古医方の唱導に刺激を受け、また江戸参府のオランダ商館長、オランダ通詞(つうじ)吉雄耕牛(よしおこうぎゅう)(幸左衛門)らに会い、蘭方外科につき質問し、やがてオランダ医書『ターヘル・アナトミア』を入手した。1771年(明和8)春、前野良沢(まえのりょうたく)、中川淳庵(なかがわじゅんあん)らと江戸の小塚原(こづかっぱら)の刑場で死刑囚の死体の解剖を実見した。その結果『ターヘル・アナトミア』、正しくはドイツの解剖学者クルムスが著し、オランダのディクテンGerardus Dicten(1696ころ―1770)のオランダ語訳した『Ontleedkundige Tafelen』(『解剖図譜』)の精緻(せいち)なるを知り、同志とともに翻訳を決意して着手する。4か年の努力を経て、1774年(安永3)『解体新書』5巻(図1巻・図説4巻)を完成し、刊行の推進力となった。この挙は江戸における本格的蘭方医書の翻訳事業の嚆矢(こうし)であって、日本の医学史上に及ぼした影響すこぶる大きく、その後の蘭学発達に果たした功績は大きい。彼ら同志の翻訳の苦心のありさまは晩年の追想『蘭学事始(ことはじめ)』に詳しい。主家への勤務をはじめ、多数の患者を診療し、患家を往診する余暇に、学塾天真楼を経営し、大槻玄沢(おおつきげんたく)、杉田伯元、宇田川玄真(1770―1835)ら多数の門人の育成に努めた。また蘭書の収集に意を注いで、それを門人の利用に供するなど蘭学の発達に貢献した。前記の訳著のほかに奥州一関(いちのせき)藩の医師建部清菴(たけべせいあん)との往復書簡集『和蘭(おらんだ)医事問答』(1795)をはじめ、『解体約図』(1773)『狂医之言』(1773)『形影夜話(けいえいやわ)』(1810)『養生七不可(ようじょうしちふか)』などにおいて医学知識を啓蒙(けいもう)し、『乱心二十四条』『後見草(あとみぐさ)』(1787成立)『玉味噌(たまみそ)』『野叟独語(やそうどくご)』(1807成立)『犬解嘲(けんかいちょう)』『耄耋(ぼうてつ)独語』など多くの著述を通じて、政治・社会問題を論述し、その所信を表明した。
彼の日記『鷧斎日録』をみると、「病論会」なる研究会を定期的に会員の回り持ち会場で開催して、医学研鑽(けんさん)に努めたようすをうかがうことができる。若いころに阪昌周(さかしょうしゅう)(?―1784)に連歌(れんが)を習って、自ら詩歌をつくり、宋紫石(そうしせき)、石川大浪(いしかわたいろう)(1765―1818)ら江戸の洋風画家たちとも交わって画技も高かったことは、その大幅で極彩色の「百鶴(ひゃっかく)の図」をはじめとして、戯画などを通じてうかがい知ることができる。
蘭方医学の本質を求めて、心の問答を展開した相手建部清菴の第5子を養子に迎え、伯元と改称せしめ家塾を継がせた。実子立卿(りゅうけい)には西洋流眼科をもって別家独立させ、その子孫には成卿(せいけい)・玄端(げんたん)ら有能な蘭学者・蘭方医が輩出、活躍している。石川大浪が描いた肖像は老境の玄白像をよく伝えている。文化(ぶんか)14年4月17日、江戸で病没、85歳。墓は東京都港区虎ノ門、天徳寺の塔頭(たっちゅう)、栄閑院(通称猿寺)にあり、東京都史跡に指定されている。
[片桐一男 2016年5月19日]
『片桐一男著『杉田玄白』(1971/新装版・1986・吉川弘文館)』
(養老孟司)
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江戸中期の蘭方医。若狭国小浜藩医杉田玄甫(甫仙)の子として江戸牛込の小浜藩邸で生まれた。名は翼(たすく),字は子鳳(しほう),号は鷧斎(いさい)といい,晩年には九幸翁とも号した。堂号を小詩仙堂,天真楼といった。官医西玄哲にオランダ流外科を学んだが,その水準にあきたらず,同藩の僚友小杉玄適が京都の山脇東洋に学んで江戸に帰り,東洋の人体解剖や京都の古医方派の動向を伝えたのに刺激され,家業とする外科領域で新しい道を開く志を立てた(22歳)。こうして,中国の外科書を総ざらいし病門を整理して納得できる治法を集め,それに玄白が見聞した日本の経験的薬方や治法を加えて《瘍家大成》の編述を企てた。その過程で実験にもとづく実証的なオランダ医学の水準を知り,同僚の中川淳庵や中津藩医の前野良沢らとともに,江戸参府のオランダ人一行の宿舎長崎屋に蘭館医や通詞たちを訪ね,治療の実技を見学したり外科の原書を借り受けてその精巧な図版を筆写したりして見聞をひろめた。さらにクルムスJ.Kulmusの解剖書(いわゆる《ターヘル・アナトミア》)を入手し,それに引き続いて千住骨ヶ原(小塚原)で刑死体の解剖を実見する機会をもって,オランダの解剖書の正確なことを確認した。明和8年(1771)3月4日,玄白39歳のときである。その感動のさめやらぬ翌5日,同志が集まってその原書の翻訳を決意し,前野良沢を盟主として翻訳作業を開始して,3年後の安永3年(1774)8月《解体新書》として刊行した。これが近代的意味での外国語の原書を翻訳する方法や方針を明示して行った最初の翻訳書となった。玄白は後進の蘭学者を多数育成して蘭学興隆の基礎を固め,門弟・同志らによって外国書の翻訳が相次ぎ,これによって西洋の学問の摂取が本格化した。85歳の長寿を保った玄白は,そのさまを回顧録《蘭学事始(らんがくことはじめ)》にまとめたが,玄白自身の思想の進展を示すものとして《狂医之言》《形影夜話》《和蘭医事問答》等があり,政局批判の書として《後見草(のちみぐさ)》《野叟独語(やそうどくご)》等がある。
執筆者:宗田 一
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1733.9.13~1817.4.17
江戸中期の蘭方医・蘭学者。若狭国小浜藩医。名は翼,号は鷧斎(いさい)のち九幸。玄白は通称。塾名は天真楼。江戸生れ。漢学を宮瀬竜門(りゅうもん)に,蘭方外科を西玄哲(げんてつ)に学ぶ。山脇東洋の解剖観察に刺激され,オランダ通詞にオランダ流外科について質問,蘭書の入手につとめた。1771年(明和8)小塚原(こづかっぱら)刑場で屍体の解剖を観察,携帯したオランダ語解剖書「ターヘル・アナトミア」の内景図が実景と符合していることに驚嘆,同志と翻訳を決意。74年(安永3)「解体新書」5巻として公刊し,蘭方医書の本格的翻訳の先駆となった。会読・翻訳・公刊の苦心は晩年の回想録「蘭学事始」に詳しい。以後,診療と後進の育成に尽くした。多趣味で,「後見草(のちみぐさ)」「野叟(やそう)独語」など社会批判の書もある。
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…原著は,ドイツ人クルムスJohann Adam Kulmusの解剖図譜のオランダ語版《ターヘル・アナトミア》である。この訳業のきっかけを与えたのは,1771年(明和8)3月4日,江戸小塚原刑場であった解剖(腑分け)を,杉田玄白,前野良沢,中川淳庵が見学し,その際持参したクルムスの図譜の正確なことに驚いて,翻訳をすることに意見が一致し,さらに桂川甫周,石川玄常,嶺春泰,桐山正哲らも加わって集団討議を繰り返しながらできあがったものである。その経緯は,杉田玄白の《蘭学事始》に詳しい。…
…1774年(安永3)刊。1771年(明和8)の骨ヶ原(小塚原)の腑分けがきっかけとなって,当時《ターヘル・アナトミア》と俗称されたドイツ人クルムスJ.Kulmusの解剖書の蘭訳本(1734刊)を日本訳したもので,江戸の杉田玄白,前野良沢ら蘭学グループが参画したが,良沢の名前は記されていない。これは幕府の出版取締りをおしはかって,もし幕府のとがめを受けたとき,先輩で盟主格の良沢に累を及ぼさないための配慮とみられる。…
…杉田玄白著。3巻。…
…杉田玄白著。3巻。…
…江戸蘭学の発端と発展のさまを回顧した杉田玄白晩年の懐古録。《和蘭事始(オランダことはじめ)》《蘭東事始(らんとうことはじめ)》の題名の写本で伝わり,1869年(明治2)《蘭学事始》(記録にはこの題名もあった)の題名で玄白の曾孫(養子)杉田廉卿(れんきよう)によって2巻の和装本で木版刊行された。…
※「杉田玄白」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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