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吉雄耕牛 よしおこうぎゅう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

吉雄耕牛
よしおこうぎゅう

[生]享保9(1724).長崎
[没]寛政12(1800).8.16. 長崎
江戸時代中期の蘭方医。吉雄流外科の開祖。初め定次郎,次いで幸佐衛門,のちに幸作,幸載と称す。諱は永章,号が耕牛,養浩斎,成秀館ともいう。長崎の通詞吉雄藤三郎の長男に生れ,少年時代からオランダ商館出入りして,寛保2 (1742) 年,19歳で小通詞,寛延1 (48) 年には大通詞となった。

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デジタル大辞泉の解説

よしお‐こうぎゅう〔よしをカウギウ〕【吉雄耕牛】

[1724~1800]江戸中期の蘭学者・蘭方医。長崎の人。名は永章。通称、幸左衛門・幸作。耕牛は号。オランダ通詞のかたわら、蘭方医学を学び吉雄流の開祖となる。前野良沢杉田玄白らを指導。「解体新書」の序文を書いたことでも知られる。

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百科事典マイペディアの解説

吉雄耕牛【よしおこうぎゅう】

江戸後期のオランダ通詞,蘭方医(らんぽうい)。名は永章(えいしょう),俗称幸左衛門,のち幸作。耕牛は号。1748年大通詞になる。通詞のかたわらオランダの医書を読み,さらに出島のオランダ商館付外科医たちから直接洋方医学を学んで,吉雄流外科をひらいた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

吉雄耕牛 よしお-こうぎゅう

1724-1800 江戸時代中期-後期のオランダ通詞,蘭方医。
享保(きょうほう)9年生まれ。代々オランダ通詞で,寛延元年大通詞にすすむ。またオランダ商館付医師から外科医学をまなび,吉雄流外科といわれる一派をおこす。前野良沢,杉田玄白らを指導し,「解体新書」に序文をよせた。寛政12年8月16日死去。77歳。肥前長崎出身。名は永章。通称は幸左衛門,幸作。訳書に「因液発備」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

よしおこうぎゅう【吉雄耕牛】

1724‐1800(享保9‐寛政12)
江戸後期のオランダ通詞,蘭方医。名は永章,通称は幸左衛門,のち幸作。耕牛は号。1737年(元文2)稽古通詞となり,42年(寛保2)小通詞,48年(寛延1)大通詞となる。90年(寛政2)までの間,年番を13回,江戸番を11回務めた。一時誤訳事件に連座し5年間蟄居(ちつきよ)したが,97年から1800年まで若い通詞たちのための蛮学指南を命ぜられた。一方,出島のオランダ商館付外科医たちから洋方医学を学び,吉雄流外科といわれる一派を興した。

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大辞林 第三版の解説

よしおこうぎゅう【吉雄耕牛】

1724~1800) オランダ通詞、蘭学者。長崎の人。通詞のかたわら、オランダ医学を研究、蘭方の吉雄流を興した。各地の蘭学者と交流し大きな影響を与えた。「解体新書」の序文を書いた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

吉雄耕牛
よしおこうぎゅう
(1724―1800)

江戸中期のオランダ通詞(つうじ)、蘭方(らんぽう)医。長崎の人。名は永章、通称は幸左衛門、また幸作(幸朔)。耕牛は号である。通詞の家に生まれ、早くから家業のオランダ通詞に携わり、1748年(寛延1)大通詞となり、1788年(天明8)までに年番大通詞を8回勤めた。1790年(寛政2)ごろ大通詞を退いてオランダ通詞目付となる。その後、不都合のことがあったとして閉門、蟄居(ちっきょ)に処せられたが、1797年に許され、以降、蛮学指南役の任にあった。一方、彼は出島のオランダ商館にきた多くの外国人医師について西洋医学、とくに外科を学び、のちに吉雄流外科といわれる一派をおこした。「吉雄家学之科条」として、紅毛文字・紅毛方言・纏帛(こんはく)法・切脈法・腹診法・服薬法・刺鍼(ししん)法・治創法・療瘍(りょうよう)法・整骨法の10か条を定め、杉田玄白・前野良沢(りょうたく)・平賀源内をはじめ多くの門下生を指導し、蘭学の普及に大きく貢献した。『解体新書』序文は耕牛の筆になる。『紅毛瘍(よう)医鑑』『外療秘伝集』などを著したほか、日本最初の尿診断書『因液発備』を口述、発刊した。[大鳥蘭三郎]

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