クルーエ(読み)くるーえ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「クルーエ」の意味・わかりやすい解説

クルーエ(父子)
くるーえ

父Jean Clouet(1485ころ―1541ころ)、子François Clouet(1505/10ころ―72) フランスの画家。父ジャンはフランドル出身らしく、1516年フランソア1世の画家として初めて名前が現れる。21~25年ころトゥール、その後パリに住んだようである。33年、王の画家、王の小姓に任命されている。名声は当時においてもきわめて高かったが、確実な署名作品はない。ごくわずかな油彩肖像画のみが彼に帰せられている。『ギヨーム・ビュデの肖像』(ニューヨーク、メトロポリタン美術館)などである。一方、彼が得意としたこうした肖像画のための鉛筆、赤チョークなどによる素描類は約130点が彼の作とされ、油彩とともに、精緻(せいち)で優雅な描写、とくに個性的な相貌(そうぼう)の描出において、フランス・ルネサンスの人間表現に一つの段階を画している。

 この父クルーエ死後ただちに、1541年に王の画家となったのが息子のフランソアである。彼もしばしばジャンJean, Janetとよばれるのは、父親との混同であろう。事実初期には父親と協作をしたようであり、『フランソア1世』(ルーブル美術館)などではそれが指摘される。彼は4代の王に仕え、やはり名声を得て多くの肖像画を描いたが、父の場合よりはるかに洗練された豊かな細部をみせる。また肖像画以外にも『浴槽貴婦人』(ワシントンナショナル・ギャラリー)のような主題も描き、肖像画の画風とともにフォンテンブロー派、17世紀フランス絵画に広い影響を与えている。

[中山公男]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クルーエ」の意味・わかりやすい解説

クルーエ
Clouet, François

[生]1515/1520. トゥール
[没]1572.9.22. パリ
フランスの画家。 J.クルーエの息子で,ジャネとも呼ばれた。 1541年,父の跡を継いでフランソア1世の宮廷画家となり,次いでアンリ2世,シャルル9世に仕え,おもに肖像画を制作。署名のある最初の作品『薬剤師ピエール・クテ』 (1562,ルーブル美術館) は A.ブロンツィーノの作風に酷似しており,彼がイタリアへ行った経験のあることを暗示しているが,『シャルル9世の肖像』 (61,ウィーン美術史美術館) や『アンリ2世の肖像』 (59,ルーブル美術館) などの洗練された細密描写は,H.ホルバイン (子) に近い。このほか,父と同様多数の肖像デッサン (シャンティイー,コンデ美術館その他) も残し,以後のフランスの素描家に大きな影響を与えた。

クルーエ
Clouet, Jean

[生]1485頃.ブリュッセル?
[没]1540/1541. パリ
フランスの画家。 F.クルーエの父。 1516年以後はフランソア1世の宮廷画家としてトゥールおよびパリで制作。若干のミニアチュールと宗教画を除けば作品のほとんどは肖像画で,赤や黒のパステルで描かれた約 130点の肖像デッサン (シャンティイー,コンデ美術館に大部分を所蔵) およびそれらと関連のある数点の肖像油彩画を残し,特に『フランソア1世』 (1524頃,ルーブル美術館) や『ギヨーム・ビュデの肖像』 (35頃,メトロポリタン美術館) が有名。その作風はフランドル派的な細密描写,フランス的な優雅な感覚,盛期ルネサンスのイタリア絵画の影響が特徴。

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