クルーエ(読み)くるーえ

デジタル大辞泉 「クルーエ」の意味・読み・例文・類語

クルーエ(François Clouet)

[1510ころ~1572]フランス画家。父ジャンとともに宮廷画家として、精緻せいちな描写の肖像画デッサンを多く残した。

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精選版 日本国語大辞典 「クルーエ」の意味・読み・例文・類語

クルーエ

  1. ( Jean Clouet ジャン━ ) フランスの宮廷画家。精細な観察に基づく典雅肖像画を多く描く。代表作は「フランソワ一世像」。息子のフランソワも宮廷画家で「アンリ二世像」「シャルル九世像」などの作品を残した。(一四八〇頃‐一五四〇頃

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「クルーエ」の意味・わかりやすい解説

クルーエ(父子)
くるーえ

父Jean Clouet(1485ころ―1541ころ)、子François Clouet(1505/1510ころ―1572) フランスの画家。父ジャンはフランドル出身らしく、1516年フランソア1世の画家として初めて名前が現れる。1521~1525年ころトゥール、その後パリに住んだようである。1533年、王の画家、王の小姓に任命されている。名声は当時においてもきわめて高かったが、確実な署名作品はない。ごくわずかな油彩肖像画のみが彼に帰せられている。『ギヨーム・ビュデの肖像』(ニューヨーク、メトロポリタン美術館)などである。一方、彼が得意としたこうした肖像画のための鉛筆、赤チョークなどによる素描類は約130点が彼の作とされ、油彩とともに、精緻(せいち)で優雅な描写、とくに個性的な相貌(そうぼう)の描出において、フランス・ルネサンスの人間表現に一つの段階を画している。

 この父クルーエの死後ただちに、1541年に王の画家となったのが息子のフランソアである。彼もしばしばジャンJean, Janetとよばれるのは、父親との混同であろう。事実初期には父親と協作をしたようであり、『フランソア1世』(パリ、ルーブル美術館)などではそれが指摘される。彼は4代の王に仕え、やはり名声を得て多くの肖像画を描いたが、父の場合よりはるかに洗練された豊かな細部をみせる。また、肖像画以外にも『浴槽の貴婦人』(ワシントンナショナル・ギャラリー)のような主題も描き、肖像画の画風とともにフォンテンブロー派、17世紀フランス絵画に広い影響を与えている。

[中山公男]


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改訂新版 世界大百科事典 「クルーエ」の意味・わかりやすい解説

クルーエ
François Clouet
生没年:1505か10-72

フランスの肖像画家。トゥール生れ。父ジャンJean Clouet(1485ころ-1541ころ)はフランドル出身の画家で,フランスに帰化した。1541年父より王室画家の地位を継ぐ。署名作品は《薬種商ピエール・クートの肖像》(1562)と《浴女》のみである。4代の王に仕え,王侯貴族を描き,油絵《アンリ2世像》(1559),素描《シャルル9世像》(1566)をはじめ彼の作と推定される作品は数多く存在する。《浴女》に代表される寓意をこめた官能的風俗画の分野では,同時代に大きな影響を及ぼした。父子ののこした鋭い観察力を見せる素描肖像画というジャンルは,そののち油絵の下絵ではなく,独立した絵画部門として好まれ,多数の同様の作品が制作された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クルーエ」の意味・わかりやすい解説

クルーエ
Clouet, François

[生]1515/1520. トゥール
[没]1572.9.22. パリ
フランスの画家。 J.クルーエの息子で,ジャネとも呼ばれた。 1541年,父の跡を継いでフランソア1世の宮廷画家となり,次いでアンリ2世,シャルル9世に仕え,おもに肖像画を制作。署名のある最初の作品『薬剤師ピエール・クテ』 (1562,ルーブル美術館) は A.ブロンツィーノの作風に酷似しており,彼がイタリアへ行った経験のあることを暗示しているが,『シャルル9世の肖像』 (61,ウィーン美術史美術館) や『アンリ2世の肖像』 (59,ルーブル美術館) などの洗練された細密描写は,H.ホルバイン (子) に近い。このほか,父と同様多数の肖像デッサン (シャンティイー,コンデ美術館その他) も残し,以後のフランスの素描家に大きな影響を与えた。

クルーエ
Clouet, Jean

[生]1485頃.ブリュッセル?
[没]1540/1541. パリ
フランスの画家。 F.クルーエの父。 1516年以後はフランソア1世の宮廷画家としてトゥールおよびパリで制作。若干のミニアチュールと宗教画を除けば作品のほとんどは肖像画で,赤や黒のパステルで描かれた約 130点の肖像デッサン (シャンティイー,コンデ美術館に大部分を所蔵) およびそれらと関連のある数点の肖像油彩画を残し,特に『フランソア1世』 (1524頃,ルーブル美術館) や『ギヨーム・ビュデの肖像』 (35頃,メトロポリタン美術館) が有名。その作風はフランドル派的な細密描写,フランス的な優雅な感覚,盛期ルネサンスのイタリア絵画の影響が特徴。

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百科事典マイペディア 「クルーエ」の意味・わかりやすい解説

クルーエ

フランスの画家。トゥール生れ。父のジャンJean Clouet〔1480から1485-1540か1541〕亡きあと,フランスの王室画家として活躍。おもに肖像画を描き,冷静で精密な観察眼に基づく客観的描写が特徴。代表作に《薬種商ピエール・クートの肖像》(1562年,ルーブル美術館蔵)や《貴婦人の湯浴み》(1570年ころ,ワシントン,ナショナル・ギャラリー蔵)などがある。
→関連項目フォンテンブロー派

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