日本大百科全書(ニッポニカ) 「華族農場」の意味・わかりやすい解説
華族農場
かぞくのうじょう
明治政府が創設した特権的貴族層である華族による大土地所有農場。明治政府は帝室の藩屏(はんぺい)である華族の経済的基礎を固めるために、官有地を無償、または低価格で華族に払い下げた。とくに大規模な開墾は未占有の未開地の多かった北海道において行われた。その最大のものは1890年(明治23)公爵三条実美(さんじょうさねとみ)、侯爵蜂須賀茂韶(はちすかもちあき)、侯爵菊亭修季(きくていのりすえ)らが払下げを受けた雨竜(うりゅう)原野(空知(そらち)総合振興局管内の北部)内、5万ヘクタールの華族組合農場である。同農場では直営の大農牧経営を目ざしたが、市場の未発達や労働力不足のために失敗し、91年解散した。その後は蜂須賀侯爵ら4華族による個別の小作制大農場となった。
[神田健策]