萩間村(読み)はぎまむら

日本歴史地名大系 「萩間村」の解説

萩間村
はぎまむら

[現在地名]掛川市萩間

原野谷はらのや川上流にあり、南は丹間たんま村・孕石はらみいし村。元亀二年(一五七一)三月四日の武田信玄判物(孕石文書)に「萩間」とみえ、状況は大和田おおわだ村と同じ。文禄二年検地高目録に村名がみえ、高五〇石余。慶長九年(一六〇四)七月の原田庄萩間村御検地水帳之写(伊藤家文書)が残る。正保郷帳では田方二四石余・畑方二三石余、掛川藩領、ほかに「大非観音」(大悲山観音堂)領三石・昌光しようこう(現曹洞宗)領三石がある。国立史料館本元禄郷帳でも同藩領。延享三年(一七四六)幕府領、明和五年(一七六八)掛川藩領となる(文政一二年御高等書留など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報