朝日日本歴史人物事典 「藤原昭子」の解説
藤原昭子
平安時代後期の後三条天皇女御。「あきこ」とも。堀河女御。承香殿。藤原頼宗の娘。頼宗は最初,昭子を後冷泉天皇の後宮に入れようとしたが,兄頼通の娘寛子に先を越されたため断念した。治暦1(1065)年皇太弟尊仁親王(後三条天皇)への入内を計画中に頼宗は死亡するが,その遺志に基づき治暦2年昭子入内が実現した。しかし子に恵まれなかった。延久1(1069)年後三条即位にともない女御になる。同3年後三条天皇死亡により出家,堀河院で仏道に専念。
(京楽真帆子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報