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藤原頼宗 ふじわらの よりむね

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤原頼宗 ふじわらの-よりむね

993-1065 平安時代中期の公卿(くぎょう),歌人。
正暦(しょうりゃく)4年生まれ。藤原道長の次男。母は源明子。長和3年(1014)権(ごんの)中納言。康平元年従一位,3年右大臣となる。娘たちを後朱雀(ごすざく)天皇,後三条天皇の女御(にょうご)とし,異母兄頼通(よりみち)の意向と対立した。のち出家。藤原公任(きんとう)につぐ歌人と称され,「後拾遺和歌集」以下の勅撰集に約40首はいっている。藤家音曲の祖ともいう。康平8年2月3日死去。73歳。通称は堀河右大臣。家集に「入道右大臣集」。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

藤原頼宗

没年:治暦1.2.3(1065.3.12)
生年:正暦4(993)
平安中期の公卿。堀河右大臣と称される。従一位。道長と左大臣源高明の娘明子の長男。寛弘8(1011)年19歳で従三位(非参議)となり昇進を重ね,55歳で内大臣,康平3(1060)年右大臣に至った。他界直前に出家。『古事談』によると,藤原公任の子定頼と中宮彰子(父は道長)のもとにあった好色の女房を愛したが,あるとき定頼が通ってみると先客の頼宗と懐抱中であったので経文を唱えて帰ったが,その声を聴いた女は頼宗に背をむけて泣き,心動かされた頼宗は発心したという。紀貫之,平兼盛と並ぶほどに歌人としてすぐれ,家集に『入道右大臣集』がある。ふたりの娘を女御としたが,皇子は生まれてない。

(朧谷寿)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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