蘇我法提郎媛(読み)そがのほほてのいらつめ

朝日日本歴史人物事典 「蘇我法提郎媛」の解説

蘇我法提郎媛

生年生没年不詳
7世紀前半,舒明天皇夫人(皇后・妃の次の位)。蘇我馬子の娘。古人大兄皇子を生む。蘇我氏権勢背景にして古人大兄皇子皇位に就けようとし,そのため山背大兄王を滅ぼしている。法提郎媛蘇我蝦夷姉妹の中でも特に蝦夷と親密な兄妹関係にあったものと思われ,蘇我氏の権勢を背景に隠然たる力を振るえる立場にあったが,『日本書紀』の記事はわずかである。

(明石一紀)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「蘇我法提郎媛」の解説

蘇我法提郎媛 そがの-ほほてのいらつめ

?-? 飛鳥(あすか)時代,舒明(じょめい)天皇の夫人(ぶにん)。
蘇我馬子(うまこ)の娘。舒明天皇2年(630)夫人となり,古人大兄(ふるひとのおおえの)皇子を生んだ。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例