日本歴史地名大系 「蜷川庄」の解説
蜷川庄
いながわのしよう
- 福島県:河沼郡
- 蜷川庄
現在の子内親王(冷泉宮)の庄園として成立したと思われる。
子内親王は大納言信家室となり、蜷川庄は藤原師実の妻麗子(
子内親王養女)を経て知足院藤原忠実に譲られて摂関家領となり、その子忠通・基実・基通・家実・兼経(近衛家)に伝わった(会津若松史)。建武三年(一三三六)四月二五日の沙弥某預ケ状(遠藤白川文書)では、将軍足利尊氏の命を受けて「会津稲河庄矢目村事」を石川氏一族の蒲田五郎太郎兼光に預けている。同年七月二八日の沙弥某預ケ状(合編白河石川文書)では「会津蜷河庄野沢村半分」がやはり石川氏一族の小平光俊に預けられている。貞和三年(一三四七)八月日の真壁政
代薄国
着到状(真壁文書)によれば、「摩訶部小太郎政本」(真壁政
)は「会津蜷河庄勝方村地頭」であり、北朝方の石塔義房に属して、伊達郡
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報