蜷川親当(読み)にながわちかまさ

山川 日本史小辞典 改訂新版 「蜷川親当」の解説

蜷川親当
にながわちかまさ

?~1448.5.12

室町中期の武士連歌師。親俊の子。新右衛門尉。法名智蘊(ちうん)。幕府の政所執事伊勢氏の被官。政所代を勤める。姉は主人伊勢貞国の妻。和歌を正徹(しょうてつ)に,連歌梵灯庵(ぼんとうあん)に学び,のち宗祇(そうぎ)が選んだ連歌七賢の1人とされ,「竹林抄」「新撰菟玖波(つくば)集」に多数の作品が載る。ほか自選の「親当句集」がある。一休宗純に感化をうけ,近世の「一休咄」にも登場する。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

関連語 蜷川智蘊

世界大百科事典(旧版)内の蜷川親当の言及

【蜷川氏】より

…本姓宮道氏。越中国新川郡蜷川村に住して蜷川を称したという。鎌倉時代以前の事跡は明らかでない。家伝によれば,建武のころ蜷川親行は,足利氏の近臣で後に政所(まんどころ)執事となる伊勢貞継の仲介で足利氏に仕えた。親行の妹は貞継の息貞信の妾となって伊勢貞行を生むなど代々伊勢氏と婚を通じ,伊勢氏の家宰あるいは将軍の養い親として重きをなすようになった。伊勢氏が政所の長官に当たる執事になると政所代になって政所の実務処理に当たり,また故実にも通じていたので政界で重きをなした。…

※「蜷川親当」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む