精選版 日本国語大辞典 「蜷川智蘊」の意味・読み・例文・類語 にながわ‐ちうん【蜷川智蘊】 室町中期の武士、連歌師。名は新左衛門親当(ちかまさ)。和歌を正徹に学ぶ。連歌にすぐれる。足利義教に仕え、政所の吏僚として幕府財政をつかさどる。著書に「親当句集」。文安五年(一四四八)没。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「蜷川智蘊」の意味・わかりやすい解説 蜷川智蘊にながわちうん [生]?[没]文安5(1448).5.12.室町時代の武士,連歌作者。新右衛門親当 (ちかまさ) と称した。室町幕府に政所代として仕えた。和歌を正徹 (しょうてつ) に,連歌を梵灯庵主に学び,一休に参禅。『竹林抄』の連歌七賢の一人。『新撰菟玖波集 (つくばしゅう) 』に 66句入集。句集『親当句集』。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「蜷川智蘊」の解説 蜷川智蘊 にながわ-ちうん ?-1448 室町時代の幕府官僚,連歌師。蜷川親俊(ちかとし)の子。政所(まんどころ)公役,京都沙汰人(さたにん)をつとめる。和歌を清巌正徹(せいがん-しょうてつ)にまなぶ。連歌七賢のひとりにかぞえられ,句は「竹林抄」「新撰菟玖波(つくば)集」にある。文安5年5月12日死去。名は親当(ちかまさ)。通称は新右衛門。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by