蠣久庄(読み)かきひさのしよう

日本歴史地名大系 「蠣久庄」の解説

蠣久庄
かきひさのしよう

成立は明らかではないが、永保二年(一〇八二)「佐嘉庄四十三町三十歩」などとともに「蠣久庄八十町歩」が太宰府天満宮安楽あんらく寺領として、同寺西塔の建立とともに藤原資仲によって寄進されている(天満宮安楽寺草創日記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《料理されるためにまないたにのせられた魚の意から》相手のなすに任せるより方法のない運命のたとえ。まないたの鯉こい。[類語]俎板まないたの鯉こい・薬缶やかんで茹ゆでた蛸たこのよう・手も足も出ない...

俎上の魚の用語解説を読む