日本歴史地名大系 「蠣殻町三丁目」の解説
蠣殻町三丁目
かきがらちようさんちようめ
明治五年(一八七二)旧上総請西藩林氏上屋敷、旧三卿清水家屋敷、旧美濃加納藩永井氏上屋敷、旧紀伊徳川家の慶福の屋敷、旧遠江浜松藩井上氏上屋敷などや武家地を合併して起立。西は蠣殻町二丁目・
南西端の徳川慶福の屋敷は西は入堀、南は箱崎川に面している。慶福は安政五年(一八五八)徳川第一四代将軍家茂となった。沿革図書によれば、この地に紀伊家蔵屋敷が天保三年(一八三二)の図から幕末まであり、それ以前は延宝年中(一六七三―八一)の図では若狭小浜藩酒井氏の屋敷の一部、元禄年中(一六八八―一七〇四)の図では旗本酒井主膳(忠術)の屋敷、享保年中(一七一六―三六)の図では丹後田辺藩牧野氏の屋敷となっている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報