衣干城跡
きぬぼしじようあと
[現在地名]今治市衣干町二丁目
衣干(衣星)山は鳥生東方の水田中に孤立した小丘、標高一〇メートル、周囲約二〇〇メートルで、老松が茂る。全山が衣干八幡神社の境内で、同社は保延元年(一一三五)河野親清が石清水八幡を勧請したといわれる。元弘―建武(一三三一―三八)の頃は鳥生又三郎貞実の城砦であったと伝える。
戦国期には鷹ヶ森城主越智駿河守通能の弟右衛門尉が守っていた。しかし天正一三年(一五八五)鷹ヶ森城が小早川勢に攻められて落城した時、兄の命をうけ門間左衛門佐の一子太郎を伴い、再挙をはかるため落ち延びた(小松邑誌)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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