デジタル大辞泉 「老松」の意味・読み・例文・類語
おいまつ【老松】[曲名]
能の「老松」をもとにした常磐津・富本・清元・長唄・一中節などの曲名。
(1)能の曲名。脇能物。神物。世阿弥作。シテは老松の神霊。都に住む梅津某(ワキ)が筑紫の安楽寺を訪ねる。来かかった老人(前ジテ)に尋ねると,境内の松と梅は菅原道真の遺愛の木で,梅は紅梅殿(こうばいどの),松は老松という名があり,ともに天満宮の末社として神にまつられていると説明する。そして梅と松の徳を,唐土の始皇帝の故事など引いて物語るうちに姿は消える(〈クセ〉)。夜に入り,老松の精が気高い老体の神姿(後ジテ)で現れ,こうごうしい舞を舞い(〈真(しん)ノ序ノ舞〉),御代をことほぐ。クセと真ノ序ノ舞が中心で,老体の神能の代表作。
執筆者:横道 万里雄(2)三味線声曲の曲名。常磐津節は秦の始皇帝の故事を扱い,佐々木市蔵作曲。常磐津創立時の曲。富本節は常磐津と同歌詞に富本創立の際節付けされたもの。清元節は富本節のものの改調。長唄は1820年(文政3)4世杵屋(きねや)六三郎の作曲で,初期のお座敷長唄の佳作。謡曲によりつつ,廓気分を加え,松に関した文句を綴り合わせて,曲詞にも変化がある。一中節は亀丈作詞,菅野序国・序藤作曲。1858年(安政5)発表。
執筆者:長尾 一雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
(1)能の曲目。初番目・脇能物(わきのうもの)。五流現行曲。同じ世阿弥(ぜあみ)作であり、松のめでたさを主題としながら、『高砂(たかさご)』の後シテはりりしい男神であり、これは翁(おきな)さびた老神である。流罪の菅原道真(すがわらのみちざね)を慕って九州に飛び来たった飛び梅と、追い松の伝説。道真を葬った安楽寺を訪れた都人(ワキ)の前に、老翁(前シテ)と若い男(ツレ)が現れて、神と祀(まつ)られた梅と松のことを物語る。老松の神霊(後シテ)は、のどかな春をたたえつつ荘重な舞を舞い、天皇の御代(みよ)をことほぐ。土地で紅梅殿(こうばいどの)と崇(あが)められる梅の精を、天女の姿で登場させる替(かえ)の演出のほうが本来の行き方で、前段のツレも女性の姿であったのが、他の脇能の類型に従って男の役にしたものであろう。
[増田正造]
(2)常磐津(ときわず)、富本(とみもと)、清元(きよもと)、長唄(ながうた)、一中節(いっちゅうぶし)などの三味線音楽に同名の曲があり、いずれも能をもとにし、祝儀曲として格調をもつ。とくに常磐津は1747年(延享4)常磐津文字太夫(もじたゆう)が宮古路から改名したときに披露した、常磐津最古の曲で、一中節の影響もかなり残っている。また長唄は、1820年(文政3)4世杵屋(きねや)六三郎作曲で、演奏会用の、いわゆるお座敷長唄のはしりである。
[茂手木潔子]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…さらにこの時代には,舞踊の伴奏音楽という制約から離れた鑑賞用長唄(お座敷長唄)が誕生した。これは長唄演奏者の芸術的意欲の高揚から生まれた新傾向の長唄で,このころには《老松(おいまつ)》《吾妻八景(あづまはつけい)》《外記節石橋(げきぶししやつきよう)》などが作曲されている。また,長い間,市川家荒事舞踊の伴奏音楽をつとめていた大薩摩節が衰退し,1826年(文政9)その家元権が4世杵屋三郎助(のちの10代目杵屋六左衛門)に預けられた結果,大薩摩節の旋律を加味した長唄が積極的に作曲されるようになった。…
※「老松」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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