日本大百科全書(ニッポニカ) 「裴度」の意味・わかりやすい解説 裴度はいど(765―839) 中国、唐代の大官。河東聞喜(ぶんき)(山西省)の人。字(あざな)は中立、諡(おくりな)は文忠(ぶんちゅう)。暗殺された宰相武元衡(ぶげんこう)にかわり、裴度は815年に中書侍郎、同中書門下平章事(宰相)となった。節度使を抑圧し、宦官(かんがん)に対しても強硬策をとり、憲宗、穆宗(ぼくそう)、敬宗、文宗の四朝にわたって活躍した。牛李(ぎゅうり)の党争の一派の牛僧孺(ぎゅうそうじゅ)とはあわなかったが、詩人白楽天とは自分の洛陽(らくよう)にあった別荘緑野堂で風流な生活を過ごした。[布目潮渢] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例