西之部田村(読み)にしのべたむら

日本歴史地名大系 「西之部田村」の解説

西之部田村
にしのべたむら

[現在地名]大多喜町西部田にしべた

大多喜城下柳原やなばら町の南西上原うえはら村の西、夷隅川左岸に位置する。大多喜城下から清澄きよすみ(現天津小湊町)へ至る房州清澄道が通る。西ノ部田・西部田とも記した。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に西部田村とみえ、高三三九石。慶長五年(一六〇〇)の大多喜藩領分高付帳(大木家文書)では高三三九石余。天正一八年(一五九〇)検地が実施されたという(天保一一年「上原村庄屋上申書」渡辺家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 幕末 バラ

半夏ともいう。七十二候の一つで,本来は夏至後 10日目から小暑の前日までをいったが,現行暦では太陽の黄経が 100°に達する日 (7月1日か2日) を半夏生とし,雑節の一つとして記載している。この頃半...

半夏生の用語解説を読む