美しい花をつけ,また香料の原料ともなるバラは,バラ科バラ属Rosaの落葉または常緑の低木やつる性植物から育成されたもので,多数の観賞用園芸品種を含む。この属は約200種の野生種が知られる。茎葉にはとげが多く,互生する葉は通常,奇数羽状複葉,まれに単葉になり,托葉がある。花は茎頂に単生か散房状につき,花弁は5枚,園芸品種では重弁化するものが多い。おしべ,めしべともに多数。瘦果(そうか)は肉質の花床に包まれる。北半球の亜寒帯から熱帯山地にかけて分布し,日本にはノイバラ,テリハノイバラ,ヤマイバラ,タカネバラ,サンショウバラ,ナニワイバラ,ハマナスなど十数種が野生する。
ギリシア・ローマ時代には,西アジアからヨーロッパ域の野生バラや,それの自然交雑と推定される花の目だつ変り物がよく栽培されていた。この古典時代からルネサンス時代にかけて,主としてヨーロッパ南部で栽培されていたバラには次のような種がある。これらはすべて,雑種と断定あるいは推定されているもので,バラはその栽培の初めから複雑な起源をもった園芸植物である。
(1)ローザ・カニナR.canina L.(英名dog rose) 小葉は5~7枚。花は一重で花弁は5枚,花色は薄桃色から桃色。芳香がわずかにある。西アジアからヨーロッパに分布する。(2)ローザ・モスカータR.moschata Herr.(英名musk rose) つる性で,小葉は5~7枚。花は散房状花序に10~30個つく。花は白色の一重で,1日で散る。濃厚な香りがある。南ヨーロッパ,北アフリカに野生する。2n=14。(3)ローザ・センティフォリアR.centifolia L.(英名cabbage rose,Provence rose) 花は英名からもうかがえるように結球キャベツ状の重弁で,60弁以上の多数の花弁をもち,径5~6cmで,茎頂に単生するか2~3花つけ,普通ピンク色。雑種起源(R.bifera×R.alba)で,不稔の四倍体(2n=28)である。この突然変異の枝変りで,針状のとげがやや多く,萼や花托や小花梗に絨毛(じゆうもう)と刺毛とみつ腺の多い特異な形態をしたものをコケバラvar.muscosa Seringe(英名moss rose)と呼ぶ。これは1696年ごろ南フランスで発見され,当時,高価なものであった。(4)ダマスクバラR.damascena Miller(英名Damask rose) 小葉は5~7枚。花は散房状に多数つき,花弁も多数。花色は赤,ピンク。芳香がきわめて強烈で,香油成分に富み,香水の原料ともなる。自然雑種(R.gallica×R.phoenicia)から選抜されたものと考えられ,小アジア地域からヨーロッパには16世紀に導入された。2n=28。(5)ローザ・ガリカR.gallica L.(英名French rose) 直立性の灌木で,長い根茎がある。花は上向きに咲き,濃いピンクから深紅色。栽培されている系統は変異に富み,雑種起源ではないかと考えられている。7世紀になってイスラム教徒のヨーロッパ侵入とともに,西アジア地域からヨーロッパにもたらされたものと考えられている。
ルネサンス以降,主としてアジアの各地域からヨーロッパに導入された品種改良の原種とされたバラには,次のようなものがある。
(1)コウシンバラ(別名,長春花,長春,月季花)R.chinensis Jacq.(英名China rose,Bengal rose) 常緑または半常緑の灌木。とげは少ない。小葉は3~5枚。花は八重または半八重で,桃色または深紅色,まれに白色。四季咲性。中国西部に野生化している。2n=14,21,28。(2)ローザ・フォエティダR.foetida Herrm.(=R.lutea Mill.)(英名Austrian briar) 小葉は5~9枚。花は濃黄色で,単生する。イラン,イラク,アフガニスタン原産で,1542年ころヨーロッパに導入された。2n=14,28。花弁の表が鮮やかな朱色のものをvar.bicolor Willm.といい,これが後年,現在のバラの黄色,かば色,朱色,花弁の表裏変色のもととなった。(3)ローザ・オドラータR.odorata Sweet(英名tea rose) つる性または半つる性で,小葉は5~7枚で,照葉(てりは)。花は単生か2~3個頂生し,白色や淡いピンク色など。中国西部に点在し,交雑された種で,園芸品種と考えられる。1768年から1810年にかけてヨーロッパに入り,ティー・ローズの母種となった。2n=14。(4)ローザ・ギガンテアR.gigantea Collett et Hemsl. つる性で,花は乳白色または黄色。中国南西部に自生する。2n=14。(5)モッコウバラR.banksiae R.Br.(英名Bank's rose) 常緑のつる性で,とげは少ない。小葉は3~5枚。花は小輪で白か黄色。中国西部~中部に自生し,19世紀にヨーロッパに紹介された。2n=14。
以上の種のほかに,日本にも自生するノイバラの多花性と強健性,テリハノイバラのつる性と耐寒性,ハマナスの美しさなどが近代の品種改良におおいに貢献した。
ヨーロッパで育成されたバラの諸系統ヨーロッパではこれらの東洋の原種とヨーロッパ在来の系統との人工交雑で,数々の新系統がつくり出された。なかでもハイブリッド・パーペチュアル・ローズHybrid Perpetual Roseとティー・ローズTea Roseの系統が,19世紀後期から作り出され,最も重要な園芸バラの系統となった。ハイブリッド・パーペチュアル・ローズは,ハイブリッド・チャイナHybrid Chinaと呼ばれた四季咲性のコウシンバラ系とダマスクバラの自然交雑種や,コウシンバラ系とローザ・ガリカの交雑種,あるいはコウシンバラ系とダマスクバラの自然交雑によってできたブルボン・ローズBourbon Roseなど,さまざまな雑種起源系統がさらに育成された。性質はそれまで少なかった大輪咲きの多花性で,木は強健で,耐寒性や耐病性にすぐれ,春の一番咲きのあと,返り咲きもする品種が出たので,perpetual(四季咲性)と名付けられたが,実際は秋まで咲き続ける真の四季咲きではない。中国には古くからコウシンバラ系とローザ・ギガンテアの自然交雑種があり,これが18世紀にヨーロッパに渡った。四季咲性にすぐれ,中輪でやや房咲きではあるが,花色が多く,花型もよく,紅茶に似た香りをもつので,さらにヨーロッパ在来品種が交配され,ティー・ローズと名付けられた。1867年フランスのギヨーGuillotがティー・ローズとハイブリッド・パーペチュアル・ローズを交雑してラ・フランスLa Franceという品種を作り出した。これはティー・ローズの四季咲性とハイブリッド・パーペチュアル・ローズの大輪咲きと強健さをもっていたので,以後次々とティー・ローズとハイブリッド・パーペチュアル・ローズ,さらにローザ・フォエティダが交雑されるようになり,ハイブリッド・ティー・ローズHybrid Tea Roseと呼ばれるこれらの品種群は現代バラ(モダン・ローズ)の基本となった。また,1900年にフランスのペルネ・デュシェJ.Pernet-Ducherは黄バラのローザ・フォエティダの八重咲種とハイブリッド・パーペチュアル・ローズの一季咲大輪との人工交配によって濃黄あんず色の中大輪ソレイユ・ドールSoleil d'Orを作り出した。これ以後,この系統を親とする黄色,橙色,かば色,あんず色などの黄色系の花色をもつ品種群が生まれた。これらをペルネシアナ・ローズPernetiana Roseと呼ぶ。また,つる性のバラも19世紀後期に品種改良が進められた。1875年,ギヨーが東洋産のノイバラ系のものとコウシンバラ系のヒメバラR.chinensis var. minima Voss(英名fairy rose)との人工交配によって作った品種は,四季咲小輪房咲きの特徴をもっていた。この系統はポリアンサ・ローズPolyantha Roseと名付けられたが,きわめて多花性で耐病性がある。また北欧でも育つような耐寒性のある品種もあり,今日でも寒地でもてはやされている。
執筆者:鈴木 省三
バラの栽培の歴史は古く,種々の原種が交配され,今日では1万をこえる品種が栽培されている。バラの国際登録局およびアメリカのバラ協会発行の《モダン・ローゼズⅧ》(1980)は,それまでに作り出された品種を45系統に分類しているが,これらの系統のうち今日栽培されているおもな系統はわずか数系統にすぎない。また各系統間の交配が頻繁に行われ,その中間のタイプが続出し,きれいに各系統に分けにくくなってきている。そのため最近では今までの系統にこだわらず,系統を大別してゆくことになった。(1)ブッシュ・タイプBush type(木バラ,株バラ,叢生(そうせい)バラ),(2)クライミング・タイプClimbing type(つるバラ),(3)シュラブ・タイプShrub type(木バラとつるバラの中間型)の3系統に分けられる。これらはさらにその花の大きさや花のつき方および植物体の特性によって系統分類されている。
(1)ブッシュ・タイプ このタイプは普通の栽培品種が最も多く,したがって系統も多い。(a)四季咲大輪系(ハイブリッド・ティー・ローズHybrid Tea Rose) 19世紀に,ティー・ローズとハイブリッド・パーペチュアル・ローズ,さらにローザ・フォエティダが交雑された品種群で,これにペルネシアナ・ローズの黄色系(カロチノイド色素系)の花色も導入された。ブッシュ・タイプの中心的系統で,本来は1茎に1花の大輪をつけるが,品種によっては1~数個の側蕾(そくらい)をつけるものもある。グランディフローラ・ローズGrandiflora Roseと称し,房咲きが後からすぐ続いて咲く系統も含まれている。花色,花型の多様性,強健,大輪などの点ですぐれ,現在の世界のバラ品種の6~7割がこの系統であり,品種数も最も多い。花壇用,切花用,鉢植用と用途も広い。(b)四季咲中輪房咲系(フロリバンダ・ローズFloribunda Rose) 1911年に,デンマークのポールゼンS.Poulsenがポリアンサ・ローズにハイブリッド・ティー・ローズを交雑して,耐寒性と四季咲性をもつ中輪房咲きの品種を作り出した。この系統はハイブリッド・ポリアンサ・ローズHybrid Polyantha Roseと名付けられた。その後,さらに改良が進み,花房は大きく,花弁も多く重ねられ,アメリカでフロリバンダ・ローズと呼ばれるようになった。1茎に数花,ときに10花以上の中輪の花を房状につける。多花性で樹型が整っており,色彩も豊富で耐寒性も耐病性も強いので,花壇用として価値が高い。とくにヨーロッパではよく栽培され,国や地方によってはハイブリッド・ティー・ローズよりも栽培数が多い。(c)四季咲大輪房咲系(グランディフローラ・ローズGrandiflora Rose) ハイブリッド・ティー・ローズとフロリバンダ・ローズの中間タイプで,1茎に数花をつける大輪房咲きとなる。1954年に作り出された品種クイーン・エリザベスQueen Elizabethに代表され,1950年代にアメリカで命名された系統である。現在ではフロリバンダ・ローズとハイブリッド・ティー・ローズの交雑が盛んになり,グランディフローラ・ローズに似たものは多く,房咲きの花が大輪となり,ハイブリッド・ティー・ローズも側蕾の発生する品種が多くなり,ハイブリッド・ティー・ローズの系統に入れてしまう結果になっている。(d)四季咲小輪矮性(わいせい)系(ヒメバラ,ミニアチュア・ローズMiniature Rose) 矮性の原種を親に,ポリアンサ・ローズやハイブリッド・ポリアンサ・ローズを交雑したもので,第2次世界大戦前にオランダやスペインで品種改良がすすんだ。1茎に数花の小輪を房咲きにし,樹高は低い。近年,この系統から二つのグループが派生した。一つはマイクロ・ローズMicro Roseで,アメリカで作り出された樹高5~15cmの極矮性の品種系統。光量がひじょうに少なくても栽培でき,太陽光線にあてたほうがよいが,電灯下でも開花する。室内の鉢植用として開発された。もう一つはメイアンディナMeillandinaで,フランスのメイアン社Meillandの開発した鉢植用の系統。樹高はフロリバンダ・ローズとミニアチュア・ローズの中間で,花径は6cmぐらいとミニアチュア・ローズのなかでは大きい。約2週間は退色しにくいという花もちのよさと多花性が特徴である。
(2)クライミング・タイプ つるバラと呼ばれ,垣根やアーチ,ポールなどに用いられる。(a)小輪房咲一季咲系(ランブラーRambler) テリハノイバラなどを親として改良された品種。現在はあまり作り出されていないが,日本中どこでもよく見かける。ローズ色の小輪房咲きのつるバラ,ドロシー・パーキンスDorothy Perkinsが代表品種である。支柱がないと地面に伏せるから,垣根用に最もよい。(b)大輪つるバラ系(Large Flowered Climber) ランブラーと同様テリハノイバラを親として作り出された大輪咲きの系統。(c)枝変り性つるバラ系(Climbing Sport) ブッシュ・タイプのものが突然変異によってつる性となった品種。花はもとの品種とまったく同じである。大輪つるバラ系とこの系がともに現在のつるバラの主流として栽培されている。
(3)シュラブ・タイプ ブッシュ・タイプおよびクライミング・タイプのいずれにも分けられないいわば中間の系統。原種間交雑品種およびその改良品種を便宜上,シュラブ・タイプと呼んでいる。耐病性が強く,栽培管理が楽で剪定(せんてい)の必要がなく,造園用として利用される。近年ヨーロッパではグランドカバー用として小輪系の品種が道路ののり(法)面,傾斜地,分離帯などに用いられている。これにはただ,はって伸びるだけでなく,こんもりと盛り上がるグループも評価されている。
以上のタイプのもののほか,切花用品種の開発がめざましく,本来の系統から多少違った形態をもつ品種が現れてきた。とくにフロリバンダ・ローズでは,房咲性をなくして単花咲きとしたもの(日本ではベビー・ローズBaby Roseと呼ばれ,マリー・デ・ボアMary De Vor,ミニュエットMinuetなどが代表品種)や,房咲きの特徴を最大限に発揮させたもの(スプレー・タイプSpray typeと呼ばれ,ミミ・ローズMimi Roseが代表品種)である。これはカーネーションのスプレー咲きと同じように切花の営業用としてのグループである。
営利的な切花生産以外は,露地で栽培される。環境に対する適応性は強く,世界中で広く栽培されており,日本でも北海道から九州,沖縄までいたるところで栽培されている。排水がよく保水力のある土地ならば,灌水,施肥などの栽培管理をきちんとすれば,どんな土地でも作ることができる。
苗木は芽接ぎまたは切接ぎして殖やすが,春,秋の2回入手できる。春のものを新苗と呼び,4月中旬より6月上旬が植付けの適期である。秋の苗木は,大苗または2年苗と呼ばれ,葉はなく太い枝が2~3本出ている。10月中旬から翌年の3月下旬が植付適期であるが,厳寒期はさける。新苗,大苗とも,通常直径50cm,深さ50cm以上の植穴を掘って植え付ける。植穴には堆肥,有機質肥料を穴の半分くらい入れ,土とよく混ぜ合わせて元肥とする。肥料成分は窒素,リン酸,カリの比が1:2から3:1くらいになるようにする。植付け後は十分に灌水を行い,乾燥防止のため敷きわらを行う。植付けの間隔は木バラ(ミニアチュア・ローズを除く)は1mくらい,つるバラは2mくらいにする。
追肥は速効性の化学肥料を用い,春の芽出し後から月に1~2回の割合で行うが,つぼみが着色したら一時施肥を控える。冬季12~2月にかけ,木の周囲に深さ30cmくらいの穴を掘り,植付時と同様の堆肥および有機質肥料を十分に施す。これは翌年の元肥となる。
咲き終わった花は,種子の着生を防ぎ次の花をよく咲かせるために,本葉を2~3枚着けて切り取る。梅雨あけ後の高温で木が衰弱するため,7月中旬以後は開花させず摘蕾(てきらい)し,木の衰弱を防ぐ。根もとから出る太い茎はシュート(苗条)と呼ばれ,次年度以後の主幹となるので,この先につぼみが見えたときにその枝の2/3から1/2を残して切り取る。8月下旬から9月上旬にかけて,秋の整枝を行う。秋の整枝は細枝,枯枝などを取り除き,その年に伸びた枝の1/3~1/4ほどを切り込む。10月下旬前後が満開となるよう,逆算して整枝の時期を決める。この時期は品種により多少異なるが,整枝後約50~60日くらいかかるので,遅咲きのものは早めに整枝を行い開花時期がそろうようにする。
剪定(せんてい)は通常2~3月に行う。その方法は第1に枯枝や細い枝を取り除き,次に木の内側に伸びて込み合った枝は,基部から切って全体の枝数を制限する。残った枝は前年に伸びた長さの1/2~1/3を残し,外側に向いた芽の上5mm~1cmくらいで切り去る。以上はブッシュ・タイプの剪定法である。つるバラは前年に長く伸びた枝を残し,4年以上たった古い枝は基部から切る。また弱い枝や枯枝は取り除き,残された枝は先端を少し切り込み,枝をできるだけ水平になるように支持物に誘引する。シュラブ・タイプは,枯枝および3~4年以上たった古い枝を基部から切り取る以外は,剪定は原則として行わない。
敷きわら(マルチング)は夏季および冬季に乾燥防止,根の凍結防止のために行う。稲わら,もみがら,堆肥などを5cmくらいの厚さで株の周囲に敷く。台木に接木または芽接ぎによって繁殖された苗木は,根もとより台木の芽が出ることがあるため,見つけしだいかきとる。鉢栽培は素焼鉢がよいが,プラスチック鉢,おけ,樽,プランターなどでも栽培できる。鉢の大きさは新苗で5号鉢(直径15cm),大苗で6~7号(直径18~21cm)を標準とするが,根の大きさにより多少増減する。保水力があり,しかも排水のよい肥料分を含んだ土を用いる。植付けは鉢底に赤玉土を入れ,その上に苗をおき,培養土を入れる。灌水は土が乾いたら行う。夏季の乾燥時には朝夕2回行う。鉢植えの場合は用土が少ないため,追肥によって肥料分を補う必要があるので,週1回灌水がわりに化学肥料を薄く水に溶かして与える。植替えは毎年または隔年(木の生育状態による),冬季の休眠期に行う。冬季の鉢管理は,地面に鉢全体を埋め込んでおくとよい。剪定は露地植えのものより多少刈り込む。
実生による繁殖は新品種の作出・台木の育成以外は行わない。接木による繁殖が普通である。早春ノイバラを台木として切接ぎを行うが,最近は芽接ぎによる繁殖法も増えてきている。台木(ノイバラ)の生育中ならいつでも芽接ぎできるが,普通6~10月である。芽接ぎは接いだあとの管理が簡単で,芽接ぎ後は春までそのままでよい。
栽培上の最大の悩みは病害虫の防除であるが,最近は病害に対しては抵抗性のある品種が作り出されてきている。また,日当り,通風などの環境をよくし,過湿にならないよう注意すること,発病前に定期的に薬剤散布を行い,予防につとめるのがよい。
執筆者:平林 浩
バラはヨーロッパで香料としても古くから貴ばれ,テオフラストスの《植物誌》や大プリニウスの《博物誌》には,バラ水rose waterやバラ油rose oilの記述がある。バラ水とは半開のバラの花を蒸留し,この蒸気を冷やして凝縮したものである。現在でも料理の香料として使われる。また,バラ油はこのバラ水を再蒸留し,上層の精油をすくいとったものである。生の花4tから普通1kgのバラ油がとれるという。現在では冷浸法,有機溶媒による抽出法など,種によってバラ油の抽出法を変えている。種としてはダマスクバラをはじめ,ローザ・ガリカ,ローザ・アルバ,ローザ・センティフォリアがよく用いられた。とくにダマスクバラは芳香がよく,現在でも用いられている。主成分としてはゲラニオールgeraniol,シトロネロールcitronellol,フェニルエチルアルコール,ネロールnerol,リナロールlinaloolなどを含む。種や品種によって芳香はさまざまに異なり,ローザ・モスカータは麝香(じやこう)に似た香り,ティー・ローズは紅茶の香り,また果実や薬味風の香りをもつもの,葉にニッケイのようなにおいのあるバラなどがあり,微量精油成分も少しずつ違う。バラの花のジャムや花弁の砂糖漬などの利用法もある。
聖書ではアダムとイブがエデンの園を追放されるとき,〈いばらの道をわけていく〉と書かれている。このエデンの園はバビロニア付近をさし,またこのあたりはバラの原産地に近い。しかし聖書に出てくる〈バラ〉とは,確実にバラと言明できなくて,むしろきれいな花をさすぐらいのものと考えられている。
前16世紀ごろのものとされるクレタ島のクノッソス宮殿の壁画にバラの絵が残っている。このバラはダマスクバラやローザ・ガリカであろうといわれている。またエーゲ海地方はバラが生育しやすく,前3000年ごろローザ・ガリカ,ローザ・センティフォリア,ダマスクバラがあったと考えられている。前6世紀になると,女流詩人サッフォーが詩にバラをうたっている。その後,アナクレオンの詩,ヘロドトス,プラトン,アリストテレス,テオフラストス,大プリニウスなどの著作にバラが出てくる。テオフラストスの《植物誌》のバラはピンクから白まであり,八重のバラも描かれている。アレクサンドロス大王は遠征の際,アリストテレスやテオフラストスから教わった植物を持ち帰っている。このときの記録からも,当時,ローザ・ガリカやローザ・センティフォリアがあったことがはっきりしている。ギリシアやローマではバラはすでに栽培され,宴会のたびに花をさしたり,花びらを部屋にまいたという。おそらく香りを楽しんだのであろう。また,エジプトからの風習として,バラを蒸留して香水としてふろに入れたり,化粧に使ったり,贈物とした。当時は花の価値もさることながら,香料としてのバラの価値が高く,バラ水やバラ油がもっぱら王侯貴族の間で珍重された。また蒸留してバラ精油をかためて練物のようにしたものを,シルクロードを経由して中国の絹と交換した。
7世紀になり,ムハンマドがイスラム教の布教を始めるようになって以後,イスラム教はスペインやフランスまで勢力をのばした。この布教の際,バラもまたともに広まったと記録に残っている。
11世紀末からの十字軍の遠征の際には,バラの紋章を使うことがはやった。ルネサンスになると,イタリアの画家ボッティチェリが盛んにバラを描いた。これはフィレンツェのメディチ家に植えられていたバラを写生したものといわれている。ナポレオンの妃ジョゼフィーヌはマルティニク島に生まれた。フランスへ渡ってからは,寒くて花の少ないことから,世界中から植物を集めた。とくにバラが好きで,マルメゾンの邸宅の庭園には約250品種のバラを集めた。ジョゼフィーヌは宮廷画家で植物画を描いていたルドゥーテPierre-Joseph Redouté(1759-1840)にこのマルメゾン邸のバラを描くように依頼した。ルドゥーテの《バラ図譜Les Roses》は1817年から24年にかけて刊行され,約170図が収録された。ジョゼフィーヌは1814年に死ぬが,その後,パリのバガテールのバラ園で品種改良を行ったのがN.デスポルトで,29年のカタログには2562品種も載せている。当時いかにたくさんの品種を作り出したかがわかるだろう。
日本の文献では,《万葉集》の防人歌に〈道の辺の荆(うまら)の末(うれ)に這(は)ほ豆のからまる君を別れか行かむ〉にある〈荆〉が,バラの最初らしい。《古今和歌集》には紀貫之が〈さうび〉の題の下に〈我はけさうひにぞみつる花の色をあだなる物といふべかりけり〉とうたっている。この〈さうび〉はバラをさし,中国から渡来したコウシンバラであると考えられている。《枕草子》や《源氏物語》の中にも〈さうび〉の記述があり,身近に咲いているバラをめでたことがわかる。《明月記》にも〈長春花〉の名でコウシンバラのことが出てくる。また《栄華物語》や《源平盛衰記》にもバラの記述がある。
江戸時代になると,水野元勝の《花壇綱目》に長春花のことが,伊藤伊兵衛の《花壇地錦抄》には〈荆棘(いばら)のるい〉として〈はまなす,長春,ろうざ,白長春,猩々(しようじよう)長春,牡丹荆(ぼたんばら),ごや荆,箱根荆,はと荆,ちょうせん荆,山枡(さんしよう)荆,唐荆(とうばら)など〉の花形が述べてあり,元禄時代(1688-1704)にはバラが一般的な花木として愛培されていたことがわかる。さらに《大和本草》には〈薔薇,金沙羅,月季花,金罌子(なにわいばら),牡丹イハラ,野薔薇(のいばら)〉が解説されている。このうち月季花はコウシンバラを,牡丹イハラはローザ・センティフォリアをさし,中国やヨーロッパから渡来の外来種である。
執筆者:鈴木 省三
西欧世界ではほとんど文明の歴史が始まって以来,バラは花の代表であった。そのため西欧の文学では,ちょうど日本の文学においてサクラがそうであるように,多層的,多義的な象徴として広く用いられてきた。例えばそれは美の化身であるから,そこから正・負の意味合いが,こもごも生じてくる。赤いバラは勝ち誇る美と愛欲の女神ビーナス(ギリシア神話のアフロディテ,ローマ神話のウェヌス)と容易に結びつくし,白いバラは聖母マリアの純潔と霊的な愛を表しえた。しかし,美しい花はうつろいやすく,人の世の愛もまたうつろいやすい。となればバラは,ちょうどサクラがそうであったように,現世のはかなさの象徴ともなる。ただし西欧の場合,いさぎよい諦念(ていねん)という倫理は導かれず,かえって刹那主義的な快楽主義をさそう。〈カルペ・ディエムcarpe diem〉(時をとらえよ。楽しめるうちに楽しめ)のモットーは,詩的表現としては〈カルペ・ロサスcarpe rosas〉(バラを摘め)となる。性的快楽の奨励だが,これは神秘主義思想の一部で,バラが女陰象徴であることともつながっているだろう。そして女陰に集中する神秘思想は,曼荼羅(まんだら)志向とも重なり合う。薔薇十字団の神秘主義哲学においても,またたくさんの詩人や作家たち(例えばリルケ)の想念においても,バラは曼荼羅である。これは東洋思想におけるハスの花と呼応する。だから,ちょうどハスが東洋思想の楽園の最終的ビジョンと結びつくように,ダンテ《神曲》最終場面は真っ白い巨大な一輪の白バラのビジョンと変わる。キリスト教会堂建築のばら窓rose windowも,同じ考え方が根底にある。また西洋の室内の天井中心に付けられるばら飾りroseは,バラが秘密を暗示する伝統から生じた。ギリシア神話でこの花が沈黙の神ハルポクラテスHarpokratēsに与えられた故事に基づくといわれるが,昔から会議室の天井中央に1輪のバラの花をつけ,会議の内容を外部に漏らさない誓いの印とした。〈スブ・ロサsub rosa〉(バラの下で,秘密裏に)なる成語の語源である。
執筆者:川崎 寿彦
バラは古代から美と愛,喜びと青春の象徴だった。ギリシア神話では美と愛の女神アフロディテや恋の神エロスに捧げられている。とくにアフロディテとその恋人アドニスに関する神話や伝説には,バラにまつわるものが多い。神々や女神はバラを貴んだので,さまざまの機会にバラの花で冠を編んでは勝利や結婚の祝いに贈った。ギリシアやローマでは実際に結婚式のある家や凱旋将軍の車,出帆したり帰帆する船,またいけにえの動物をバラで飾った。世界史上バラが惜しみなく絢爛豪華な宴会につかわれた例として,クレオパトラは床に30cmもバラの花を敷きつめたというし,皇帝ネロは食事の間,周りの壁を機械仕掛けでたえず客の周りを回転するようにつくらせ,その壁で四季を表し,あられや雨の代りにバラの花を思うさま舞わせたという。
さてキリスト教の普及とともに,古代には愛と美の女神に捧げられた多くのものがマリア崇拝に移され,バラも処女マリアを象徴するものとなった。ユリがマリアの清らかさを象徴するなら,バラはその優美さと聖なる愛を表している。このため多くの画家はマリアをバラとともに描いているのである。一方,イギリス史上1455年から30年間におよぶばら戦争は,バラが血なまぐさい戦争に結びついたいたましい事件であった。ランカスター家は紅バラ,ヨーク家は白バラを紋章とし,両家が王位をめぐって激しく争い合った。結局この戦いはランカスター家のヘンリー7世の勝利をもって終わることになる。
バラと結びついた民間習俗でとくにあげなければならないのがバラ祭で,ドイツ,フランスその他の国々では今日でも盛大に行われる。バラ祭では両親に最も従順で行儀のよい娘が〈バラの女王〉に選ばれ,バラの冠で飾られて敬意を払われ,祭りで中心的な役割を果たす。バラはこのほかさまざまな習俗と結びついている。西ボヘミアでは生まれた赤ん坊の最初の産湯はバラの茂みに注ぐ。すると赤い健康なほおをさずかるという。ドイツでは洗礼のときに名付け親に渡されたバラのつぼみが長いこと新鮮であれば,それだけ子は長生きするといわれた。また相愛の男女が小川にバラの花びらを投げ,それが離れず水面を流れていくと二人は結婚できるという。
一方,秋に白バラが咲くのは死を意味するという俗信もある。病人が白バラの夢を見るとまもなく死ぬと伝えられ,このため病室に白バラをもっていくことは好まれない。また墓や死者にバラの花を供える風習もギリシア・ローマ時代からあり,今でもスイスの一部では,共同墓地のことを〈バラの庭園Rosengarten〉と呼んでいる。
執筆者:谷口 幸男
双子葉植物。約100属3000種におよぶ大きな科で,バラ,イチゴ,リンゴ,ナシ,モモ,サクラなど人間に有用な植物が多い。高木,低木,多年草,一年草と,生活型はさまざまで,南極を除いたすべての大陸に分布しているが,北半球の暖帯から温帯に多い。
通常,葉は互生し,単葉か掌状複葉か羽状複葉で,多くは托葉がある。花序はさまざまで,花は多くのもので両性,放射相称である。萼片があり,しばしば副萼片もある。花弁は5枚または多数,おしべは4,5,10,20または多数,めしべは多数~少数,まれに1本である。果実は多様で,袋果(たいか),瘦果,核果,ナシ状果,バラ状果,イチゴ状果などである。
日本のものは,次の四つの亜科に分けられる。(1)シモツケ亜科 子房は上位で,数個のめしべは通常離生し,胚珠は多数,果実は袋果または瘦果,一般に托葉は退化する。ホザキナナカマド属,シモツケ属,ヤマブキショウマ属,コゴメウツギ属などが含まれる。(2)バラ亜科 子房は上位または周位で,めしべは通常数個から多数,胚珠は普通1個,果実は瘦果,または集合果(バラ状果,イチゴ状果,キイチゴ状果)をつくる。シロヤマブキ属,ヤマブキ属,キジムシロ属,イチゴ属,チョウノスケソウ属,ダイコンソウ属,ヘビイチゴ属,キイチゴ属,ワレモコウ属,シモツケソウ属,バラ属が含まれる。(3)サクラ亜科 子房は上位で,めしべ1個,胚珠は2個であるが,成熟するのは1個,果実は核果(モモ状果)。サクラ属のみ含まれる。(4)ナシ亜科 子房は下位で,めしべ(心皮2~5個で合生)は1個,果実はナシ状果。サンザシ属,ビワ属,ボケ属,クサボケ属,ナシ属,リンゴ属,テンノウメ属,シャリンバイ属,カナメモチ属,ナナカマド属,ウシコロシ属,ザイフリボク属が含まれる。
バラ科には有用植物が多く,果実が食用とされる重要な果樹に,アーモンド,サクランボ類,キイチゴ類,ウメ,アンズ,スモモ,ネクタリン,モモ,イチゴ,リンゴ,ナシ,ビワや,多くの野生種がある。観賞用の花木には,いろいろなサクラやウメ,バラの園芸品種をはじめとして,ボケ,シャリンバイ,カリン,ピラカンサ,コトネアスター,ヤマブキ,ユキヤナギ,コデマリ,ナナカマドなどがある。山草として,キンロバイ,ウラジロキンバイ,チシマキンバイなどが栽培される。また,薬用として,クサボケ,サンザシ,ハマナス,ワレモコウなど,多くのものが利用されている。
執筆者:鳴橋 直弘
イギリスの自治都市。もともとは防備を施された場所ないしは市場の開かれた取引の中心地がバラと呼ばれていた。カウンティの役人の支配下にあったが,アングロ・サクソン時代からなんらかの特別の法,裁判所,特権を有していた。ノルマン人の征服(1066)以後とくに12,13世紀には漸次この独立面が強まり,中世ヨーロッパ特有の自治都市の特徴をもつようになる。しかし大陸の場合と異なり,イギリスの都市は最盛期でも王権の強い支配下にあり,自治の程度が劣っていた点が特徴的である。13世紀ころからカウンティとともにその代表が議会に召集されることが多くなり,まもなく両者で下院を構成するようになった。それゆえバラとはこの下院議員選出権をもった都市を意味することになった。この古くからのバラが産業構造が変わった後までも下院議員選出特権をもっていたために腐敗も多く(腐敗選挙区),1835年の都市自治体法で都市機構と議員選出権が改革,統一され,バラと議員選出権の直結的結びつきはなくなった。バラは都市内部の統治に関して法人化されている都市を指すようになっていくのである。しかし1974年には,バラは大ロンドン内のバラを除いてなくなり,地方統治機能をカウンティの下級区分である新設の地区districtに完全に譲った。もちろん,これによりかつてバラが有していた特権も同時に奪われたわけではないし,また特別の場合には地区にバラの資格を与えることも認められているが,原則としてバラは以後,人口と経済の中心地という実質的意味のみもち続けている。
→ブルク
執筆者:小山 貞夫
ルネサンス・イタリアの代表的人文主義者。ローマに生まれ,若年でキケロ,クインティリアヌス論を書いて古典学の才を現す。パビア大学教授となり,《快楽論》(執筆1430-33)を著してエピクロス的幸福論を唱え,世の注目を浴びる。つづいて《真なる善》(執筆1433),《真なる善と偽りの善》(執筆1434-41)を著す。地上的快楽に対する天上的幸福の優位性を認めるが,所論の進め方はきわめて合理的である。37年以後アルフォンソ王の書記となりナポリに赴く。39年に完成した《自由意志論》は,近代的理性のあり方を表明した先駆的作品として評価される。また同じころ著した《“コンスタンティヌスの寄進状”の偽作について》は,ローマ教皇の土地領有権の正当性の根拠とされる《コンスタンティヌスの寄進状》が,実は後世の偽作であることを文献学的に実証して,革命的物議をかもした。ほかに多くの文献学的研究があるが,なかでも《ラテン語の優雅さについて》6巻(1444)は古典的言語論として広く名声を得た。また《ナポリ史》3巻(執筆1445ころ)は,フェルディナンド王治下の十数年のみを扱ったにすぎぬが,すぐれた歴史記述の書である。時代を先駆するバラの見解には,激しい非難も浴びせられ,《弁護》(執筆1435-40)を著してこれにこたえねばならなかったが,晩年(1448)には教皇庁に招かれて,そこで死んだ。
執筆者:清水 純一
アメリカの改革派教会宣教師。1861年(文久1)来日,横浜の高島学校で英語を教えたが,70年(明治3)ころに私塾を開設,ここで聖書を学んだ学生たちのなかにバラから洗礼を受けて信者となる者が出,彼を仮牧師として72年日本最初のプロテスタント教会である日本基督公会が設立された。半世紀以上にわたり日本の各地で宣教にあたったが,帰国の途中で没した。なお72年に来日した弟のジョンJohn Craig Ballagh(1842-1920)も長く英語教師として活躍した。
執筆者:波多野 和夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
バラ科(APG分類:バラ科)バラ属に含まれる植物の総称。バラ属は北半球の寒帯、亜寒帯、温帯、亜熱帯に天然分布し、200種以上が知られているが、一般にバラと称しているのは、これらの野生種の雑種および改良種で、美しい花を開き、香りの高い、古くから香料用、薬用に栽培されてきて、さらに中世以後観賞用に改良された園芸種をさしている。
[鈴木省三 2020年1月21日]
日本での栽培は、江戸時代以前は、ごくわずかの日本および中国原産のバラなどが栽培されていたにすぎないが、江戸末期、明治以後は欧米からいわゆる「西洋バラ」が輸入され、今日のように多彩なバラの品種が観賞、栽培されるようになった。さらに、かねて湿度の高い日本に適したバラが期待されており、1950年(昭和25)ころから毎年日本で作出した品種も発表されている。
[鈴木省三 2020年1月21日]
木の習性から、つるバラと木(き)バラに分けられる。
[鈴木省三 2020年1月21日]
大輪咲き、中輪咲き、小輪咲きがあり、それぞれ一季咲きのものと四季咲き性を帯びるものとがあり、一般にクライミング・ローズ(Cl.)とよばれる。日本産のテリハノイバラを改良したものはじょうぶで伸長力が強く、20世紀初頭にフランスやアメリカで改良されたものは、枝の垂れやすい小・中輪咲きのものが多い。これらをランブラー・ローズという。ノイバラを改良したものも多花性で伸長力もあるが、葉が美しく照らないものが多く、ランブラー系の美葉には劣る。現在、大輪咲きをはじめとしたつるバラのほかに、木バラから突然変異でつるバラになったものが多くある。たとえば木バラのピースから出たつるバラはつるピース、木バラのフロリバンダ・ローズであるサラバンドのつるバラはつるサラバンドとよばれる。こうした木バラから出た同品種のつるバラは現在数百種に及んでいる。
[鈴木省三 2020年1月21日]
18世紀の終わりに、中国から西洋(イギリス、フランス)へ移入された四季咲き性バラのティー・ローズ(T.)に西洋バラ(ガリカ系、ブルボン系)が交雑されてハイブリッド・ティー・ローズ(H.T.)がつくられた。20世紀の初め、フランスで、ローザ・ルテアから出たペルシァンイエローを導入して、鮮黄色、銅黄色、朱黄色、朱銅色などの花色をもつペルネシアナ系のH.T.がつくられた。しかし、これらのH.T.系のバラは耐寒性が乏しく、北ヨーロッパなどの寒冷地ではよく育たなかったので、デンマークでは、耐寒性のもっとも強い日本のノイバラ系を交雑して小輪四季咲き性房咲きのポリアンサ・ローズ(Pol.)を、さらに房咲き中輪半八重のハイブリッド・ポリアンサローズをつくった。これがフロリバンダ・ローズ(Flb.)の前身である。欧米では大半この系統を栽培している。
第二次世界大戦後はさらにこれに大輪系のH.T.を交雑改良し大輪房咲き四季咲き木バラのグランディフローラ・ローズ(Gr.)がつくられた。これはクイーン・エリザベスをはじめとする強健で開花連続性の高い一群である。木バラのもっとも小さいものに、ミニアチュア・ローズ(Min.)とよばれる、樹高約15センチメートルでりっぱにみえ、花径約2センチメートルの花が房のように咲くごく矮性(わいせい)のものがある。
ほかに、木バラとつるバラの中間にあたるシュラブ・ローズ(Sh.)があり、原種も観賞できるものがこのなかに多く含まれている。また最近は、造園修景用の這性(はいせい)、懸性、大横張り性の品種がつくられ、カラースケープ・ローズ系、メイディランド系、ケイセイ・カラースケープ系、コルデス・パーク・ローズ系などがある。
[鈴木省三 2020年1月21日]
花にはいくつかの基本形はあるが、開花するにしたがい、形が変化していくことが多い。花弁が中心に向かって抱えるように咲く抱え咲き、花弁の先がとがったように反曲する剣弁(けんべん)咲き、中心の花弁が高く立つようにみえる高芯(こうしん)咲き、中心が盛り上がって高くみえる盛り上り咲き、開くと平らにみえる平(ひら)咲き、5~6枚の花弁だけで咲く一重咲きなどがある。以上のほか、剣弁高芯咲き、剣弁盛り上り咲き、半剣弁盛り上り咲きなどのように組み合わせて形づけられるものもある。
花の大きさは、土質その他の条件によって、同品種でも花の咲き方に大小があるが、一般に巨大輪咲きは満開状態で径15センチメートル以上のもの、大輪咲きは12センチメートル以上、中輪咲きは7センチメートル以上、小輪咲きは約4センチメートルまで、極小輪咲きは2.5センチメートルまでをいう。
[鈴木省三 2020年1月21日]
品種によって、それぞれ光沢、形、質などが異なる。同一品種でも場所、肥料、土質、水質によってかなり違うことがある。葉の表面がつるつるして光の反射が照るようにみえるものを照り葉、やや照り葉に近いものを半照り葉、葉の表面に反射の少ないものを艶(つや)けし葉、葉の先が丸みを帯びているものを丸葉、葉が細くとがっているようにみえるものを細葉、葉に非常に厚みのあるものを厚葉という。
[鈴木省三 2020年1月21日]
苗を植える場所は1日3時間以上日の当たる場所がよく、もし、午前半日日照と午後半日日照のどちらかを選ぶなら、午前半日日照のほうが栽培がやや楽である。大樹の下、「クレオソート」防腐剤を施した材の前、風当りの強い場所などは避けたほうがよい。通風の全然ない所はよく育つが病虫害にかかりやすいので、やや通気のある所がよい。土壌は粘質土がよいが、赤土、黒土も悪いことはない。ひどい乾燥地はよくないが、毎朝水を与えるようにすればかえってよい結果が得られる。いつも水のはけない水たまりの場所は、根腐れをおこすのでいちばんよくないが、植え場所を高い所にすれば可能である。
[鈴木省三 2020年1月21日]
新苗、大苗、鉢仕立て苗などがある。新苗には、7~9月にかけて畑で芽接ぎして、翌年の4月から売り出されるものと、12~1月に切接ぎをして、その年の4月下旬から売り出されるものとがある。大苗には、新苗を畑で育てて売り出す一年生大苗と、足掛け2年目の秋に売り出される二年生大苗とがある。鉢仕立て苗には、新苗を鉢に植えてまる1年育てたもの、二年生大苗を鉢に入れ、春に咲かせて販売するもの、3年生以上の大苗を大鉢に入れて栽培し、開花させて販売するものなどがある。
[鈴木省三 2020年1月21日]
(東京標準)新苗は4~5月、二年生大苗は10月下旬から翌年3月まで、鉢仕立て苗はいつでも花壇に下ろしてよい。植え方は、まず、深さ40センチメートル以上、直径30センチメートルの穴を掘り、約3キログラムの堆肥(たいひ)と約300グラムずつの油かす、過リン酸石灰、骨粉(こっぷん)と土をよく混ぜたものを埋め込み、その上に肥料気の少ない土を約10センチメートルかけ、軽く溶成リン肥30グラムを混ぜる。この上にかぶせるように根を置いてすこし土をかけ、水を十分に与える。水は、初めに掘った穴の底までしみ通るようにすこしずつすこしずつ多量に与え、水が引いてから上土をかける。以上は新苗も大苗も同じ植え方である。鉢仕立ての苗を植えるとき、休眠期(12月から2月)の場合は根を柔らかくほぐして植え付けるが、休眠期以外の場合は鉢から抜いて、根を崩さずに植えるようにしなければならない。
[鈴木省三 2020年1月21日]
植え付け直後は3日くらい水を控えるが、あとは3日おきに水を施す。少なくとも一週に一度は水を与えたほうがよい。ことに真夏と真冬の乾燥期には、1株に大バケツ1杯の量の水を与えることが肝要である。芽出し時期や開花直前も同様である。
四季咲き性のあるバラは開花のたびごとに木が疲れるので、花が済んだあとはかならず追肥が必要である。普通、追肥は、二年生大苗では、根から30センチメートル以上離して、約100グラムの遅効性肥料を輪状に与え、軽く中耕する。高度(濃度)化成肥料はごく少なめに、一度に50グラムずつ与える。ことに火山灰土の多い地方はリン酸分の土壌吸収が多いので、窒素、リン酸、カリを1、3、1の割合にする。粘質土では1、1.5、0.5の割合くらいが適当であるが、土の保水力、保肥力、日光受射率などもあわせて考える必要がある。
[鈴木省三 2020年1月21日]
春季剪定は発芽直前(東京標準で2月上・中旬から3月上旬まで)に行う。H.T.の場合、結果的には前年の秋、成長した枝の高さの2分の1くらいのところで切ることになるが、具体的には株の中央から見て、枝の外側にある芽(外芽)の充実したものを選び、その芽の上で、芽の向きに沿ってやや斜めに切る。株の中央にあるこみいった枝はなるべく切り取り、枯れ枝、病枝、細枝、弱枝などは全部切り捨てる。一見して杯状の形に切るのがよい。Gr.の場合、単独花として咲かせることをねらわずに、樹形がある程度まとまって咲くように考えながら刈り込む。Flb.の場合、強健で大柄な株立ちのものはH.T.と同様の剪定を行うが、丈の低い小柄の種類では軽く整枝をするような気持ちで刈り込む。寒冷地や冷涼地では、四季咲きの場合は夏も続けて咲かせるが、関東以西の暖暑地では8月下旬から9月初旬に、軽く形を整える程度に刈り込む(整姿)。なお、栄養が行き届いている二年生以上の大株は春の剪定に準じて、やや軽く剪定をする。またPol.の場合もツツジなどを刈り込む要領で軽く整枝をする。Min.の場合は鉢植えとして栽培されることが多いので、ていねいに枝を透かして切り込む。Min.のなかには、ミニブッシュとよばれる造園用の系統があるが、これらはただ好みの高さに切ればよい。つるバラの場合、ランブラー系の一季咲きのものは、花が済んだ6月下旬に花の咲いた枝のみ地上1メートルのところで、思いきって切り捨てる。基部からの新梢(しんしょう)が来年の花枝になる。四季咲き系つるバラおよび枝変わりつるバラは、花の咲いた小花枝だけ、わずかに2葉だけを残して切ればよい。いずれの場合も実をもたせることは禁物である。2年間咲かせた大枝は、新梢をたいせつにして、2年目ごとに古枝を捨てて更新していくほうがよい。
剪定後は、切り口から病原菌が入らないように、すぐに切り口に薬剤の濃度散布を行う。発芽の際は、害虫がつかないように対虫薬剤を散布する。
[鈴木省三 2020年1月21日]
成熟した葉の上に黒い斑点(はんてん)ができ、それが広がって斑点が黄色くなり、落葉してしまう状態を黒点病(こくてんびょう)(黒斑病)という。これには、病原菌が付着して根を下ろす前に予防薬をかけるのがもっともよい。雨などで地上からの跳ね上がりによって伝播(でんぱ)されることが多いので、降雨の前に葉の裏を主にして薬剤散布を行うことがこつである。うどんこ病は、湿気の多い春から梅雨期、秋の長雨のころに多く発生する。幼葉、新葉がうどん粉をかけたように白くみえだし、葉がよじれてくる。さび病は、粘質の湿地、排水の悪い所、有機質の多い場所に発生しやすく、葉にきれいな朱銅色の斑点ができて木を傷める。べと病は低温・多湿の場合に発生する。新葉の表面に紫色を帯びた斑点ができ、やがて落葉して苗は枯死する。それぞれ薬剤を散布して防除する。腐らん病(キャンカー)は、2~4月ころ、成熟した枝幹に発生し、初め茶褐色の斑点ができ、しだいに黒ずんだ褐色となる。冬季中の乾燥または寒害による凍傷に起因して、菌が付着して発展するものと考えられる。患部は切り捨て、切り口に防除剤を塗っておく。木の成熟が不足の場合にも考えられるので、リン酸カリやマグネシウムなどが欠乏しないように努める。癌腫病(がんしゅびょう)は、地際(じぎわ)の根や接ぎ口に近い根にこぶができるもので、株は栄養をとられて枯死することがある。地中の太い根や細い根にもこぶがつくこともある。地中に病気が発生した場合には、株を抜くばかりでなく、少なくとも50センチメートル立方の植え土を取り替えなければならない。モザイク病(ウイルス)は、日本ではあまり発生しないが、葉に鮮やかな白黄色の模様が現れてくるもので、生育および開花に影響があり、切り花用花壇に現れることがある。
[鈴木省三 2020年1月21日]
アブラムシ(バラヒゲナガアブラムシ)は新芽に多くつき、繁殖が速く、良花の開花を妨げ、新芽を傷める。殺虫剤で駆除する。バラクキバチは、4月下旬ころ、茎を裂いて産卵するもので、新梢を枯死させる。殺虫用の粉剤をその時期10日間毎朝まいて、飛来を防ぐ。チュウレンジバチは5月下旬から6月、茎に傷をつけて卵を産む。孵化(ふか)した幼虫が葉を食害するので、幼虫はただちに殺虫剤で駆除する。ダニ(ハダニ)は細かい赤褐色をした害虫で、葉の裏にクモの巣のような膜を張り、その中に寄生して、葉からの養分を吸収し、落葉枯死させる。葉裏を水洗してから殺ダニ剤を散布するほうが効果的である。そのほかコガネムシ(ハナムグリ)は捕殺し、またゾウムシは粉剤を散布し、駆除する。
[鈴木省三 2020年1月21日]
バラ花壇は、1本1本に十分な太陽光線を必要とするので、株間隔は0.7~1メートルにすべきである。また乾燥を嫌うので真冬や真夏はマルチング(敷き藁(わら))を行う。平地より10センチメートルくらい低くして、雨のあと湿りがちにしておく。土は膨軟を保つために、乾燥牛糞(ぎゅうふん)などを鋤(す)き込む。バラを2列に植える場合は、交互にすると、個体差の激しい樹形を補うことができる。広い芝生などでは、強健な大株を単独に植え、日本庭園ならば、石を利用して一重咲きや淡色のごく矮性品種を植えるのもよい。スタンダード仕立ては、ノイバラ台木を1本仕立てとして、高さ1~2メートルの間に芽接ぎをするものをいい、バラ花壇よりやや上部のほうで、ぱっと花束が咲くようになる。なお、つるバラを芽接ぎして、懸崖(けんがい)のように垂らして咲かせるものをウィーピング・スタンダードという。
つるバラはいろいろな仕立て方がある。アーチは幅1.2メートル、高さ2.3メートル程度がよく、刺(とげ)の少ない品種がよく用いられる。ネットフェンスは垣根のかわりに用いるので、四季咲きの品種がよく用いられる。スクリーンは、鉄製の格子形の構造物で、それにつるバラを絡ませ、花の屏風(びょうぶ)を立てたようにするのを目的とするもので、よく伸びる品種が適している。パーゴラは棚にバラを絡ませて屋根がわりにするものである。ポールは元来、丸太につるバラを絡ませ、花の柱とするのが目的であったが、最近は鉄製の3本支柱をまとめたものになりつつある。鉄製ポールの輪の直径を1.5メートルほどに広げれば、何種類ものつるバラを植え、立体感を大きくすることができる。これには四季咲き性のものがよく用いられる。トンネルは、やや広い庭園に使われるもので、高さ2.5メートル、幅2.3メートル、長さ3~5メートルのトンネルをつくり、それにバラを絡ませるものである。品種はなんでもよいが、刺の少ない品種を加えたほうがよい。
バラの切り花には、花は大輪咲き、中小輪房咲き(スプレー)などがあるが、多花性であることが条件である。品種にはソニア、マリナ、パサデナ、アールスメール・ゴールド、カルト・ブランシュ、スプレー咲きにはミミなどがある。
バラの香りは、ダマスクローズの濃厚さ、ティーローズのさわやかさ、センティフォーリアの華やかさの3系統に大別される。精油としてゲラニオール、シトロネロール、フェニール、メロールなどが多く含まれ、合成香油でも天然のバラ精油を加えなければ高級な香料とはならない。南フランスではグラースを中心とした地方にローズ・ド・メを、ブルガリアやトルコではダマスクローズを、それぞれ香料用として栽培輸出している。
[鈴木省三 2020年1月21日]
接木(つぎき)による。実生(みしょう)や挿木も可能であるが、ノイバラの台木に接木をしないとよく育たない。接木には切接ぎと芽接ぎがある。切接ぎは枝茎の休眠期、12月下旬から2月初旬にかけて行う。ノイバラの台木に目的品種の接穂を接ぐもので、接床温度を10℃から徐々に15℃に上げて、乾燥しないように湿度を70~80%に保つが、発芽後は多湿にしすぎないように注意する。芽接ぎは7月から9月までの間に、ノイバラの台木の茎に目的品種の芽を挿入して育成するものをいう。
[鈴木省三 2020年1月21日]
バラは農耕文明の始まりとともにあった。紀元前2000年以前の、シュメール人の『ギルガメシュ叙事詩』に、「この草の刺(とげ)はバラのようにお前の手を刺すだろう。お前の手がこの草を得るならば、お前は生命を得るのだ」という意味のくだりがある。ここにあるバラは野生または栽培バラ、あるいは、一般に刺のある植物をさしているものと思われるが、この叙事詩に出ている女神イシュタルについては、マリ出土の「花をかぐイシュタル」の塑像(前1800以前?)の花はバラの花であると推定されている。
古代エジプトでは、石器時代の発掘物にはバラらしいものは見当たらないが、古い書物には記載があり、バラは東方からも移入されたと考えられる。これらには、ローザ・フェニキア、ローザ・サンクタ、ローザ・モスカータなど四季咲き性を含む芳香種もあった。
前3000~前2000年のバビロニアでは、隣国ペルシア、トルコなどがガリカ系などのバラの原種自生地であるうえに、バラなどを原料としたと思われる香料も加工されていたので、バラの栽培は盛んであったと考えられる。すなわちバビロン宮殿にはブドウやイチジクの果樹園とともにバラが栽培され、香料や薬用とされていたと推定される。
エーゲ海文明期、エーゲ海諸島がバラ栽培にもっとも適した気候であったこともあり、バラが栽培され香料や医薬用として利用された。クノッソス宮殿のフレスコの家とよばれる洞窟(どうくつ)内の壁画にバラらしい絵が発見されている。古代ペルシアでもガリカ系やフェティダ系も豊富に自生し、ペルセポリスの彫刻にはバラを頭に飾ってあるものや、大建築の円柱にアカンサス模様のようにバラの模様が残されている。
ヘブライ王国では、ソロモンの栄華にバラが出現しているが、ソロモン詩篇(しへん)や『旧約聖書』にあるバラは、現在のバラの祖先であるか否かは明らかではない。
古代ギリシアでは、多くの詩人によってバラが詠まれており、ホメロスは若い人の美しさを「バラの頬(ほお)」と表現しており、バラ水(バラ油)も記述している。またサッフォーは「花の女王バラ」と歌っている。さらにアナクレオンは「恋の花なるバラの花、いとしき花のバラの花」と詠んでいる。ビーナス(アフロディテ)のバラの花は愛と喜びと美と純潔を象徴していると信じられた。バラの英語名ローズroseは、古アルメニア語のバールドvardに発し、古いギリシア語ブロードンbrodonがロドンrodonになり、ローズになったとされる。バラを意味するロードス島に当時のものと思われるバラ模様の硬貨が伝えられ、オリンピア競技の人々の頭の装飾にバラと思われるものが使われていた。
歴史家ヘロドトスは「ウラニア」のなかに八重のバラを記載している。マケドニア地方のミダス王の花園にバラが栽培され、「60枚の花弁を有し」とあるのはローザ・センティフォーリアで、「他をしのぐ芳香」とあるのはローザ・ダマスセナである。これが歴史書に現れた正確なバラとして最古のものである。
ギリシアのテオフラストスは、「バラには花弁の数と粗密さ、色彩の美、香りの甘美さなどの点でいろいろな相違があるが、普通のものは5枚の花弁をもっている。しかしなかには12~15枚あるいはそれ以上、なかには100枚の花弁をもつものさえある」と述べている。また、「そのころギリシアにあったバラは大きさはスイレンの半分くらいで、ローザ・ダマスセナ、ローザ・アルバ、ローザ・センティフォーリア」とその種類を記載している。
エジプトでは、プトレマイオス王朝の織物や壁画にバラの花が描かれている。クレオパトラがアントニウスを迎えるため、室内をバラで飾ったのは有名で、アントニウスは死にあたって、墓場をバラで飾るように遺言したという。
ローマのプリニウスは『博物誌』のなかで、当時栽培されていたガリカ、ダマスセナ、アルバ、センティフォーリアなど12品種をあげている。当時ローマでは「バラの中に暮らす」ということがいわれたが、これはぜいたくに暮らすという意味である。
シルク・ロードを通して盛んに東西交易が行われたが、正倉院宝物にある尺などに現れる宝相華(ほうそうげ)の類はシルク・ロードを経てもたらされた文様で、それらにはローザ・シネンシス、ローザ・ギカンティア、ローザ・モスカータの仲間が描かれており、バラ栽培が広く普及していたことを知ることができる。
ルネサンス期、とくにボッティチェッリの『春の寓意(ぐうい)』『ビーナスの誕生』『バラのマリア』に描かれたバラは、ガリカ系のダマスク、アルバ、センティフォーリアなどの品種の特徴がはっきり描かれている。また「ばら戦争」としてよく知られているヨーク家とランカスター家の王位継承戦争は、それぞれ白バラ、赤バラを紋章に用いたのでその名がある。このほか、宗教画やミニアチュールにもよく描かれている。
[鈴木省三 2020年1月21日]
ローザ・シネンシスすなわち中国のバラ(月季花、庚申(こうしん)バラ、長春花などといわれる種類)は、遣隋使(けんずいし)や遣唐使によって日本にもたらされたが、当時すでに多数の園芸品種があったらしく、絵画には長春花とみなされるものが多数描かれている。栽培の起源は明らかではないが、ボタンやキクと同様、かなり古くから栽培されていたと思われる。しかも、西欧のバラ栽培が香料や医薬、装飾用であったのに対し、中国では観賞用としての栽培が最初であった。
[鈴木省三 2020年1月21日]
日本でバラが最初に記されているのは『万葉集』で、「うまら」「うばら」とある。『枕草子(まくらのそうし)』『源氏物語』『古今和歌集』『新古今和歌集』では「さうび(薔薇)」と記されているが、これらはローザ・シネンシスの類であろうと思われる。また『明月記』や『栄花物語(えいがものがたり)』にもバラの記述がみられ、源義経(みなもとのよしつね)の兜(かぶと)にもバラが描かれていたと伝えられている。『春日権現霊験記(かすがごんげんれいげんき)』には明らかに長春花と思われるものが描かれている。また、室町時代には各種の装飾にバラが描かれている。江戸時代、岩崎灌園(いわさきかんえん)の『本草図譜』には長春花、月季花が描かれており、当時すでにバラ栽培がかなり普及していたことを知ることができる。
[鈴木省三 2020年1月21日]
本来は「う(い)ばら」から転じた語で、刺(とげ)のある木の総称であったが、のちに中国から渡来した「薔薇」をさすようになった。漢詩には、『田氏家集(でんしかしゅう)』(9世紀後半)下「禁中瞿麦(なでしこ)花詩」に、「薔薇刺有るを嫌ふ」などとつくられている。早くは音読のままに「さうび」とよばれ、『古今集』「物名(もののな)」に「さうび」の題がみえ、「我は今朝初(けさうひ)(「さうび」を隠す)にぞ見つる花の色をあだなるものといふべかりけり」(紀貫之(きのつらゆき))の歌は、題として詠んでいるばかりではなく、バラそのものを詠んだものといわれる。『古今六帖(こきんろくじょう)』六の「草」の項目のなかにも「さうび」の題が立項され、『古今集』の歌が掲げられている。『源氏物語』「賢木(さかき)」に、「階(はし)のもとの薔薇(さうび)、気色(けしき)ばかり咲きて」とあり、また、同じく「少女(おとめ)」に、六条院の夏の町の御殿の景物として植えられている、とある。また、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)に仮託される『秘蔵抄(ひぞうしょう)(古今打聞(うちぎき))』には、バラの異名として「ゆききさほ花」があげられている。夏の季題。
[小町谷照彦 2020年1月21日]
『福岡誠一・鈴木省三著『バラ作り』(1980・主婦の友社)』▽『鈴木省三・籾山泰一解説・2 善雄画『ばら花譜』(1983・平凡社)』
アメリカの改革派教会宣教師。1861年(文久1)キリスト教禁制下の日本に渡来し、神奈川の成仏寺(じょうぶつじ)に居住した。のち日本最初のプロテスタント信者として、バラから受洗した鍼(はり)医矢野元隆(やのもとたか)(1815ころ―1865)に日本語を習う。横浜の高島英学校で教え、1872年(明治5)山下町に日本最初のプロテスタント教会たる日本基督(キリスト)公会を設立した。S・R・ブラウンとともに、のちに横浜バンドと称された有能なプロテスタント・グループを育成し、日本のキリスト教会に多大の貢献をなした。明治の代表的キリスト者押川方義(おしかわまさよし)(1851ころ―1928)、本多庸一(ほんだよういつ)、植村正久(うえむらまさひさ)らは彼から受洗している。在日50年に及び、帰国の途上没した。
[金井新二 2018年2月16日]
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(小檜山ルイ)
(小檜山ルイ)
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(森和男 東アジア野生植物研究会主宰 / 2007年)
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中世のイングランドで,国王からの特許状によって自治法人として認められた都市地域の制度上の呼称。裁判権,徴税請負権などの特権があり,13世紀末からは議会への代表選出権を認められるバラもあらわれたが,制度上の改編がなかったために,近世には「腐敗選挙区」の温床ともなった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…前者は定期市が発展して常設店舗の市場になった場合である。イスラム都市は生活空間,行政単位として,いくつかの街区(ハーラ,マハッラ)に分けられていたが,その地区を東西南北に走る小路の辻で定期市が開かれ,これが常設店舗に発展したものが多い。これは流通範囲の限られた小市場であった。…
… シャイフという称号は部族社会以外の社会でも使われている。都市の街区(ハーラ)のシャイフ,農村(むら)のシャイフ(シャイフ・アルバラド),ギルドのシャイフなどである。これらのシャイフは部族のシャイフと基本的には同じ性格をもっていた。…
…政治的な混乱に加えて,1069年の火災はモスクや市街地に大きな被害をもたらしたが,この間に生活自衛のための新しい街づくりが進められていった。直線の道路に代えて曲がりくねった小路がはりめぐらされ,これを基礎にモスクや市場(スーク),あるいはパン焼がまや公衆浴場などを共有する街区(ハーラ)が成立した。各ハーラはシャイフ(長)によって統率され,街の若者を中心に編成された任俠的な武力集団(アフダース)を擁していた。…
…内容は,コンスタンティヌス1世(大帝)が癩病を時のローマ司教シルウェステル1世(在位314‐35)の洗礼によって治癒してもらったことに感謝して,ローマ司教とその後継者がアンティオキア,アレクサンドリア,コンスタンティノープル,エルサレムの四主教座の上に支配権を有すること,またローマ市を含む全イタリア,西方属州,地区および都市をローマ司教の支配にゆだねることを述べており,教皇権の世俗権,皇帝権に対する優越を主張したものとされる。その偽書たることは15世紀にニコラウス・クサヌスおよび最終的にはバラによって論証された。【今野 国雄】。…
…こうした区画を通常,区というが,その形式は法人格をもつ自治区,行政区,たんなる行政区画など多様である。ニューヨーク市には,マンハッタン,ブロンクス,ブルックリン,クイーンズ,スタテン島の5区(borough)が設けられている。区長は公選であり道路,下水道などに行政権限をもつとともに,市長,助役,収入役と並んで市理事会Board of Estimateの構成員として市の立法と行政に関与している。…
…この点はともあれ,以下では,アングロ・サクソン型に属するイギリスとアメリカ合衆国,ならびに大陸型に属するフランスとドイツの地方自治の歴史を概観することによって,両類型の差異を検討してみることにしよう。
[アングロ・サクソン型の地方自治]
イギリスには,中世以来,バラborough,カウンティcounty,パリッシュparish(教区),タウンtownといった多様な地域社会が存在した。バラは王ないし封建諸侯が発した憲章によって特権を享受していた自治都市である。…
…ラテン語のブルグスburgusに由来するフランス語で,ドイツ語のブルク,英語のバラboroughに対応する。西欧中世の集落史上特異な性格をもつ。…
…この点はともあれ,以下では,アングロ・サクソン型に属するイギリスとアメリカ合衆国,ならびに大陸型に属するフランスとドイツの地方自治の歴史を概観することによって,両類型の差異を検討してみることにしよう。
[アングロ・サクソン型の地方自治]
イギリスには,中世以来,バラborough,カウンティcounty,パリッシュparish(教区),タウンtownといった多様な地域社会が存在した。バラは王ないし封建諸侯が発した憲章によって特権を享受していた自治都市である。…
…ラテン語のブルグスburgusに由来するフランス語で,ドイツ語のブルク,英語のバラboroughに対応する。西欧中世の集落史上特異な性格をもつ。…
※「バラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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