日本歴史地名大系 「夷隅郡」の解説
夷隅郡
いすみぐん
〔古代〕
「旧事本紀」「日本書紀」にみえる伊甚国造、「古事記」に記される伊自牟国造の領域であったと推定される。安閑天皇元年四月、伊甚国造の稚子直は内膳卿の膳臣大麻呂に珠を求められたが、都に着くのが遅れ、期限が過ぎても珠を納めなかったため、内膳卿に縛られその理由を追及された。稚子直らは恐れて後宮の寝所に逃込んだところ春日皇后を驚かす羽目になり、その贖罪のために春日皇后に伊甚屯倉を献上した。これが分れて郡になったという(日本書紀)。この珠は琥珀などの玉類とする説があるが、鰒から採れる真珠であろう。後代ながら貞観九年(八六七)夷郡の住人に節婦として表彰された春部直黒主売がおり(「三代実録」四月二〇日条)、当郡に春日皇后にかかわる春日部という名代が設置されていたらしいことから、屯倉の存在などを含むこの所伝も史実であったかもしれない。なお伊甚国造の領域は、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報