日本歴史地名大系 「西五百住村」の解説 西五百住村にしよすみむら 大阪府:高槻市西五百住村[現在地名]高槻市西五百住町・富田(とんだ)町一丁目・桜(さくら)ヶ丘北(おかきた)町・桜(さくら)ヶ丘南(おかみなみ)町・登美の里(とみのさと)町・大畑(おおはた)町・幸(さいわい)町・宮田(みやだ)町一丁目東五百住村の西にあり、女瀬(によぜ)川の中流右岸に位置する。条里制の遺称とされる小字に西三条・東三条がある。古くは東五百住村とともに五百住村に含まれたと考えられるが(→東五百住村)、摂津国寺社本所領并奉公方知行等目録(蜷川家文書)に「報慈院領 西五百住 当知行」とあり「親俊日記」天文八年(一五三九)一二月二八日条では、「西五百住御社村内戸伏掃部助」が相論に及び、報慈院沽却と号している旨伝えている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by