日本歴史地名大系 「西刑部村」の解説 西刑部村にしおさかべむら 栃木県:宇都宮市西刑部村[現在地名]宇都宮市西刑部町・瑞穂(みずほ)北は上桑島(かみくわじま)村、東は下桑島村と東刑部村、西部に平林、東部に田畑が展開する。応永一八年(一四一一)一一月八日の宇都宮持綱寄進状(一向寺文書)に西刑部郷とみえる。近世を通じて宇都宮藩領。慶安郷帳に田方一千二〇三石余・畑方四三八石余とあり、このほかに成願(じようがん)寺領七石がある。正徳年間(一七一一―一六)の宇都宮領村々諸割物高付覚帳(五月女久五文書)では青草勤高一千七〇八石余、山家人足土付馬萱付馬等勤高も同じ、用水川除普請往還人馬勤高一千七七〇石余、縄莚藁猫太等納高一千二五六石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by