ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「西域図記」の意味・わかりやすい解説
西域図記
せいいきずき
Xi-yu tu-ji; Hsi-yü t`u-chi
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… 6世紀の末に270年ぶりに中国本土の南北統一を実現した隋朝は,第2代の煬帝(ようだい)の治世になると積極的に西域への進出をはかり,敦煌郡がおかれた。この煬帝の西域経営は,張掖や敦煌に派遣されて西域各国の商人から風土や地理について聞き書きし,《西域図記》を著した裴矩(はいく)の献策に負うところが多い。隋末の混乱期には,敦煌は涼州に拠った李軌の支配下に入ったが,唐朝が成立した翌年の619年(武徳2)に唐の支配がおよんで瓜州となり,まもなく沙州と改称された。…
…北斉から隋に仕え,宇文化及,竇建徳(とうけんとく)を経て最後は唐にも用いられる波乱に富む一生を送った。なかでも隋の煬帝(ようだい)のもとで,《西域図記(せいいきずき)》を著し,西域諸国との関係改善,交易拡大に努め,吐谷渾(とよくこん)の排除にかかわるなど対外方面で活躍する一方,〈選曹の七貴〉(のちに五貴)の一人として重用され,煬帝の暴政の一翼を担ったことでも知られる。【気賀沢 保規】。…
※「西域図記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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