西境町
にしさかいちよう
下京区七条通新町東入
東西に通る七条通を挟む両側町。
平安京の条坊では左京七条三坊二保五町東南隅及び八条三坊一保八町北側、平安中期以降は七条室町小路にあたる。
平安末から鎌倉初期には繁華な商業地帯であった町通(現新町通)の一つの中心、七条町に近かったため、付近一帯は頻繁に火災に襲われているが、「玉葉」寿永三年(一一八四)二月二日条には「入
夜有
火、出
来自
七条室町東西
、而相并十余町焼亡」とあり、大規模なものであった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 