…西崑は崑崙(こんろん)の西の図書を蔵する仙山,秘閣(宮廷図書館)で勅撰の書を編集しているときに唱和応酬した詩,17人の作250首(ほとんど律詩)を収める。晩唐の李商隠を模倣し,典故を多用する華麗なその詩風は,〈西崑体〉と呼ばれるが,やがて写実的かつ平淡な詩風が主流を占めるようになり,一時の流行にとどまった。宋詩【村上 哲見】。…
…中国,宋代の詩。硬質な知性を特色とし,唐詩とならんで中国の詩の一方の典型とされている。 北宋の初期には,五代の変乱の後をうけて,文学は壊滅状態にあった。太宗から真宗時代にかけて,ようやく復興の機運が起こったが,詩においては晩唐の李商隠の晦渋できらびやかな詩を形式的に模倣する西昆(せいこん)体が流行したにすぎなかった。ただ王禹偁(おううしよう)(954‐1001)が,平静淡泊な中に,社会批判をこめた独自の詩を作り,宋詩の第一声とされる。…
…つまり詩はいっそう知性的になったのである。北宋初期(11世紀の初め)の宮廷詩人の一群の詩は,のち〈西崑(せいこん)体〉とよばれる,李商隠の恋愛詩の模倣に力を費やすだけであったが,梅尭臣(ばいぎようしん)と王安石が出て,詩風は一変する。〈西崑体〉の詩人たちは律詩のみを作ったが,梅尭臣は古体(とくに五言古詩)を多く作り,それらは〈生硬〉のそしりを免れなかったけれども,確かに新しいスタイルであった。…
…宋詩の開拓者としての名声は生前から高かったが,一生の大半を一介の地方官として過ごしたため,当時における文化界の最高指導者欧陽修から〈詩が人を窮地に追いやるのではなく,窮地に追いやられるからこそすぐれた詩が生まれるのだ〉と評された。花鳥風月をテーマに華麗な典故や対句に力を注ぐ西崑体(せいこんたい)の詩風に反対し,詩は本来みずからの性情をすなおに表現するものだと主張,身辺の平凡な事象から人間の真実を描くことを旨とした。下級役人の日常生活や庶民の暮しをありのままにスケッチした作品にすぐれたものが多い。…
…なかでも〈無題〉と題する作品をはじめとする一群の〈艶詩〉(男女の愛をうたう詩)が高い結晶度を示して傑作である。こうした詩風は後世〈西崑体(せいこんたい)〉と称する多くの模倣作品を生み出した(《西崑酬唱集》)。なお文章家としては四六駢儷文(しろくべんれいぶん)の名手でもあった。…
※「西崑体」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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