楊億
ようおく
(974―1020)
中国、宋(そう)代の詩人。字(あざな)は大年(たいねん)。建州浦城(ほじょう)(福建省浦城県)の人。11歳のとき神童の評判を聞いた太宗(たいそう)に詩賦を試みられ、秘書省正字の官を授けられた。1006年(景徳3)に翰林(かんりん)学士となり、同僚の劉筠(りゅういん)、銭惟演(せんいえん)らと唱和した詩を集めて『西崑酬唱(せいこんしゅうしょう)集』二巻を編み、その詩のスタイルを西崑体と称した。それらはもっぱら晩唐の李商隠(りしょういん)の近体詩を模倣しようとしたもので、典故を多用する華麗な修辞を特色とするが、内容は類型的で浅い。著に『武夷(ぶい)新集』20巻(もと194巻という)がある。
[横山伊勢雄]
『前野直彬編『宋詩鑑賞辞典』(1977・東京堂出版)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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楊億
ようおく
Yang Yi
[生]開宝7(974)
[没]天禧4(1020)
中国,宋初の詩人。浦城 (福建省) の人。字,大年。神童の名が高く,太宗の愛顧を受け,光禄寺丞,著作郎を歴任,翰林学士に進んだ。晩唐の李商隠の詩の形式的な模倣に熱中し,同僚の高官と華美な表現の抒情的な詩を応酬し,いわゆる西崑派の中心として宋初の詩風を代表するが,内容が空疎であるため,王禹しょう,梅堯臣らの新しい宋詩の勃興とともに忘れられていった。文集『武夷新集』。また『太宗実録』『冊府元亀』の編纂に参与した。 (→西崑酬唱集 )
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の楊億の言及
【冊府元亀】より
…1000巻,目録10巻。王欽若,楊億らの奉勅撰。1005年(景徳2)から13年(大中祥符6)にかけて完成された。…
※「楊億」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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