西庄境村(読み)にししようざかいむら

日本歴史地名大系 「西庄境村」の解説

西庄境村
にししようざかいむら

[現在地名]今立町西庄境

服部はつとり谷の開口部付近に位置し、東庄境と軒を連ねる。庄堺とも記され、近世前期までは東庄境村一村であったが、明暦二年(一六五六)の東庄境村高付(小林家文書)によればこの頃分村している。江戸時代の領主変遷南中津山みなみなかつやまと同じである。享保六年(一七二一)の庄境組三三ケ村明細帳(市橋家文書)によると家数は二七戸で、本百姓一一戸・水呑一六戸。しかし安政七年(一八六〇)の西庄境村五人組帳(木津家文書)では家数四〇戸で本百姓三七戸・水呑三戸。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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