日本歴史地名大系 「今立郡」の解説
今立郡
いまだてぐん
旧今立郡のうち、北西部と西部の大部分が鯖江市と武生市となったため、現今立郡は
郡名は「日本紀略」弘仁一四年(八二三)六月四日条にみえ、「越前国言上、丹生郡管郷十八、駅三、割九郷一駅、更建一郡、号今立郡、(中略)以地広人多也」とある。すなわち「今立」は新建の意で、初めは丹生郡に含まれていたが、同年丹生郡のうちから九郷一駅が分けられ今立郡が成立した。「和名抄」刊本の郡部に「伊万太千」と訓ずる。九郷は「和名抄」によると
〔原始〕
〔古代〕
継体天皇(男大迹王)は「日本書紀」に越前出身と記され、各地にその伝承が分布している。とりわけ今立町の
越前の国府は武生盆地の中央部(現武生市)に置かれたため、その東辺に位置する
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報