今立郡(読み)いまだてぐん

日本歴史地名大系 「今立郡」の解説

今立郡
いまだてぐん

面積:二三九・八五平方キロ
池田いけだ町・今立いまだて

旧今立郡のうち、北西部と西部の大部分鯖江市武生市となったため、現今立郡は越美えつみ山地に源を発する足羽あすわ川上流の諸流域、およびその周辺山地を町域とする池田町と、武生盆地東北端の孤立丘陵行司ぎようじヶ岳(三里山)の東麓、および日野川の支流域の服部はつとり水間みずま月尾つきおの各谷を町域とする今立町の二町からなる。北は足羽美山みやま町と鯖江市、東は部子へこ山脈を隔てて大野市、南は越美山地によって南条郡今庄いまじよう町と岐阜県揖斐いび徳山とくやま村、西は武生市と接するが、郡内の大部分は山地で占められる。

郡名は「日本紀略」弘仁一四年(八二三)六月四日条にみえ、「越前国言上、丹生郡管郷十八、駅三、割九郷一駅、更建一郡、号今立郡(中略)地広人多也」とある。すなわち「今立」は新建の意で、初めは丹生郡に含まれていたが、同年丹生郡のうちから九郷一駅が分けられ今立郡が成立した。「和名抄刊本郡部に「伊万太千」と訓ずる。九郷は「和名抄」によると芹川せりかわ大屋おおや酒井さかい味真あじま勝戸いそへ服部はとり(刊本は勝部)中山なかつやま舩津ふなつ曾博そはくとある。丹生郡の東方にあたることから郡名を東条とうじようとよんだこともあるが(仁和寺文書)、中世から近世初期にかけては今南東いまなんとう今南西いまなんせい今北東いまほくとうの三郡に分立。その三郡が寛文四年(一六六四)に合して再び今立郡に戻った。

〔原始〕

土器時代の遺跡は発見されていないが、縄文遺跡としては足羽川上流の谷口たにぐち上野うわの遺跡、常安つねやす王神おうじんもり遺跡(いずれも池田町)などから土器や石器類が出土した。古墳時代には武生盆地の開発が進み、古墳としては今立町東庄境ひがししようざかい松明山たいまつやま古墳群が注目される。

〔古代〕

継体天皇(男大迹王)は「日本書紀」に越前出身と記され、各地にその伝承が分布している。とりわけ今立町の粟田部あわたべから武生市の味真野あじまのにかけての地域に豊富である。しかし最近の研究によると、この地域の継体天皇伝承の成立は中世をさかのぼることなく、謡曲「花筐」にその起源が求められるという。

越前の国府は武生盆地の中央部(現武生市)に置かれたため、その東辺に位置する五箇ごか地区(現今立町)の明治初年の地籍図には、完全な形態の条里制坪割をみることができる(岡本村史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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