東庄境村
ひがししようざかいむら
[現在地名]今立町東庄境
服部谷の開口部付近にあり、西庄境村と接する。池田郷(現池田町)から服部谷経由で武生・鯖江方面へ物資を運ぶ際の中継点で、野岡村とともに商工業活動が活発であった。江戸時代の領主の変遷は南中津山村と同じである。
永正一一年(一五一四)の朝倉孝景の知行宛行状に「庄堺之四郎左衛門」(斎藤家文書)とみえる。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図にも「庄堺」とあり、高八二三・一三石が記される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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