日本歴史地名大系 「西方浄土寺跡」の解説 西方浄土寺跡さいほうじようどじあと 大阪府:茨木市内瀬村西方浄土寺跡[現在地名]茨木市水尾四丁目伝えによると、行基開創で紫雲山と号する真言宗寺院であったが、明徳年間(一三九〇―九四)本山高野山との間に確執を生じ、寺内の瑞光(ずいこう)寺・浄楽(じようらく)寺・心願(しんがん)寺・迦称(かしよう)寺・慶明(けいみよう)寺などの坊舎が廃せられ衰退、天正年間(一五七三―九二)織田信長の兵火で廃絶したという(大阪府全志)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by