朝日日本歴史人物事典 「西村九郎右衛門」の解説 西村九郎右衛門 寛永年間(1624~44)から昭和15(1940)年まで営業した京都書肆の老舗。屋号を丁字屋,堂号を空華堂といい,代々九郎右衛門と称した。明治以降の館号は護法館。店は,初め五条橋通高倉扇屋町,のち六条下数珠屋町に移った。貞享2(1685)年刊『京羽二重』の書物屋の項に一向宗の書を扱う店として記されており,当時から有力書肆として活発な出版活動を行っていた。刊行書には,東本願寺の御用書肆として,浄土真宗東本願寺派を中心とした仏書,および僧侶の著書が多く,鈴木正三の『因果物語』『破吉利支丹』や浅井了意の著なども取り扱った。同じく仏書を扱う西村七兵衛(のちの法蔵館)はこの店の分家である。 (安永美恵) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西村九郎右衛門」の解説 西村九郎右衛門 にしむら-くろうえもん ?-1633 江戸時代前期の版元。京都で営業し,おもに真宗大谷派の仏書を出版した。代々九郎右衛門を名のり,維新後は護法館と称した。寛永10年7月25日死去。屋号は丁字屋。堂号は空華堂。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by