宇賀志庄(読み)うかしのしよう

日本歴史地名大系 「宇賀志庄」の解説

宇賀志庄
うかしのしよう

春日社神供料所。天正一三年(一五八五)の宮本衆社領指出案(春日神社文書)に「春日領之事(中略)合五十四石二斗四升七合 うたの郡うかしの庄にしとの庄」とみえ、西殿(にしどの)庄とともに春日社領であった。一方、天正三年の信長朱印写(続南行雑録)には、

<資料は省略されています>

とある。これによると、宇賀志庄は春日若宮拝殿領でもあったことがうかがえる。現榛原(はいばら)町大字沢(さわ)の在地武士沢氏と現大宇陀町大字本郷(ほんごう)の在地武士と考えられる秋山氏はともに興福寺国民であったが同庄の押領を競うので春日社が織田信雄を介して信長にその停止を依頼したものである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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