見附城跡(読み)みつけじようあと

日本歴史地名大系 「見附城跡」の解説

見附城跡
みつけじようあと

[現在地名]見附市内町

集落の北の背後、しろ(一一九・二メートル)山頂にある戦国期の山城。主郭は南北八〇メートル・東西三〇メートル、東・北・西には腰曲輪などを配する。南は館谷たてだにと称し、近年まで西と南に堀跡がみられた。付近に馬場ばば古城口こじようぐちしろ地名が残る。三条長尾氏の臣丸田氏の系図(上杉家文書)によると、天正六年(一五七八)御館の乱の後の同八年、丸田伊豆守(はじめ掃部助)は、上杉景勝により栃尾城大面おおも(現南蒲原郡栄町)とともに「見付之城」に付されたとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 掃部助 シロ 景勝

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む