日本歴史地名大系 「見附市」の解説 見附市みつけし 面積:七八・一〇平方キロ新潟平野の南部に位置。市域中央より東側は東山丘陵、西側は沖積平野。刈谷田(かりやだ)川が東山丘陵の間を西流して、新潟平野に出る。川の北側は旧蒲原(かんばら)郡、南側は旧古志(こし)郡に属する。川はさらに市域西端で北に流れを変え、南蒲原郡中之島(なかのしま)村との境界をなす。北は同郡栄(さかえ)町、東は同郡下田(しただ)村・栃尾市、南は長岡市。集落は刈谷田川が丘陵部で形成した段丘上、平野部の自然堤防上、旧流路に散在する自然堤防上、さらに東山丘陵の縁辺部にある。見附の名は永正一六年(一五一九)四月一九日の山吉政久安堵状(上杉家文書)に「見付条」とみえる。〔原始〕市内には約五〇ヵ所の遺跡が確認されており、刈谷田川と支流稚児清水(ちごしみず)川との合流点より上流、東山丘陵沿い北部、南部の耳取(みみとり)山の三地区に集中している。先土器遺跡は杉沢(すぎさわ)町峠(とうげ)の刈谷田川低位段丘面に峠遺跡があり、彫刻刀形石器が採集された。遺跡の多くは縄文中期から晩期に比定され、おもなものに羽黒(はぐろ)遺跡(縄文中・後期)と耳取遺跡(縄文中―晩期)がある。弥生期の遺跡は耳取山西麓から中・後期の土器および石鏃を出土した高稲場(たかいなば)遺跡のほかに刈谷田川北岸の石地(いしじ)遺跡が確認されているが、発掘例が少ない。刈谷田川と東山丘陵に囲まれた地帯の自然堤防上は、古墳時代から中世にかけての遺物を出土する地点が多い。〔古代・中世〕市北部小栗山(こぐりやま)町の不動院裏山には経塚群があり、平安末から鎌倉期にかけて営まれたものと推定される。この経塚群を中心とした尾根が七所の嶺の霊地とよばれ、不動院は小栗山十二坊の中核であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「見附市」の意味・わかりやすい解説 見附〔市〕みつけ 新潟県中部,新潟平野の南東部にある市。 1954年葛巻,新潟の2村と上北谷村の一部を編入して市制。 56年今町を編入。中心市街地は信濃川支流の刈谷田川の谷口にある。文政年間 (1818~30) から機業が盛んで,現在では工業技術センターや化繊服地,ニット生地,ニット製品の卸商,中継商が軒を連ね,織物工場が群立している。見附油田があり,石油,天然ガスも産出し,今町の毛筆は特産。天保4 (1833) 年当時の機業者たちが勧請した棚織神社があり,毎年6月初旬刈谷田川河畔で行われる凧合戦は有名。 JR信越本線,国道8号線が通る。面積 77.91km2。人口 3万9237(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by