観潮楼歌会(読み)かんちょうろうかかい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「観潮楼歌会」の意味・わかりやすい解説

観潮楼歌会
かんちょうろうかかい

森鴎外(おうがい)が主催し、会場に東京・本郷駒込(こまごめ)千駄木(せんだぎ)町(文京区千駄木)の自宅2階の部屋をあてて開かれた歌会。観潮楼は鴎外邸の名称。1907年(明治40)3月から10年4月までの間に開催記録26回。毎月、第1土曜日の夕方から行われ、歌会の形式は、初期のころは参加者各自の持ち寄り歌の相互批評を、漸次兼題詠の互選と批評が行われた。鴎外はこれを開く目的として、『アララギ』と『明星』の二つを接近せしめ、さらに新詩社とアララギ派とに通じて国風新興を夢みたと述べ、新詩社の代表与謝野鉄幹(よさのてっかん)、アララギ派の代表伊藤左千夫(さちお)、それに第三者的な佐佐木信綱(のぶつな)の3人を招いて鴎外が加わり、四者によって歌会が始められ、のち石川啄木(たくぼく)、斎藤茂吉も加わって21人が参加している。当時の新進歌人群間の交流に大きな寄与をした。

[藤岡武雄]

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