精選版 日本国語大辞典 「批評」の意味・読み・例文・類語
ひ‐ひょう ‥ヒャウ【批評】
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批評(または批判)を意味するクリティークcritiqueの語源は,ギリシア語のクリノkrinō(判断する,裁く)に由来する。A.ラランドの《哲学辞典》によれば,批評とは,ある一つの原理または事実を評価するために検討することである。批評的精神とは,いかなる命題も,みずからその命題の価値を検討することなしにはけっして受け入れない精神である。その場合に,命題の検討が内容について行われるときには内的批評critique interne,問題の命題の起源について行われるときには外的批評critique externeというと同辞典は付け加えている。ヨーロッパ語の〈批評する〉という動詞(たとえばフランス語クリティケcritiquer)は,欠点を指摘するというような否定的意味で用いられることが多いが,日本語にはそういう用例が少ない。またヨーロッパ語では,批評という語の形容詞(たとえばフランス語のクリティークcritique)は,名詞と同じ意味のほかに,〈危機的〉という意味に用いられることが多い。この用例もまた日本語にはない。しかし,批評の機能と〈危機〉との間には事実上の関係がなくもない。〈批評的〉と〈危機的〉という日本語では二つの形容詞が,ヨーロッパ語の場合に1語によって代表されているという事実は,おそらく注意に値するであろう。要するに批評とは,(1)ある一つの原理,または事実,または命題などを検討することであり,(2)その検討は評価に関連するといえるだろう。したがって最も典型的には,(3)いったん樹立された価値の再検討としてあらわれる。そのような価値の再検討が大規模に行われる時代は,危機的時代である。
批評精神は,特定の価値の体系が危機に臨んだときに活動的となるから,批評精神の歴史とは,危機的時代の歴史であるということができる。ここでは例証をあまり広くとることはできないので,まずヨーロッパの近代と日本の場合をみよう。ヨーロッパの近代史のなかで,既存の価値の体系が重大な危機に臨み,転換を余儀なくされたことは,大きくみて3度あった。まずルネサンス,その次に産業革命と18世紀,最後に二つの世界大戦と現代である。ルネサンス期には,カトリック教会の中世的価値の秩序が危機にひんしていた。そのことが一方では宗教改革,他方では人文主義の活発な批評的精神を生み出した。もちろん宗教改革と人文主義とをその意味で比較するのは,それだけでも複雑な大きな仕事であって,ここではできない。しかし,きわめて図式的にみれば,宗教改革がそれ自身の教条体系をたてるのに急であったのに反し,人文主義は本来教条的,体系的でなかったために,長いあいだ批評精神の源泉になったということはできるであろう。思想史的観点から要約すれば,ルネサンスの批評的精神は,まず16世紀の初めエラスムスに最も典型的にあらわれ,17世紀の前半デカルトで決定的な結論に達したといえる。結論の内容は,人間の精神の自律性と理性の普遍性である。これはその後のヨーロッパの批評的精神の基礎になった。産業革命と18世紀は,旧制度と貴族的文化の体系に決定的な打撃を与えたが,J.J.ルソーの民主主義的社会観とカントの批評(批判)哲学は,旧制度に対する最も根本的な批評の表現である。その批評を通して,フランス革命は市民社会を生み出し,ヘーゲルは市民的歴史哲学を完成した。ヨーロッパの市民社会はその成立と同時に文化の各領域にわたる盛んな批評活動をよびさました。その理由の第1は,ジャーナリズムの発達であり,第2は,個人主義的な哲学の普及である。たとえば,文芸批評が文芸家の活動の重要な一部門となり,職業的批評家が発生したのは,フランス革命以後19世紀においてであった。しかし市民社会が世界大戦によって危機を自覚するまで,その根本的な原則に対する批評はなかった。根本的な批評は,第1次大戦とロシア革命以後に始まる。マルクス,エンゲルスは19世紀の半ばに《共産党宣言》を書いたが,ヨーロッパがその意味を理解しはじめたのは20世紀に入ってからである。現在,市民社会の原理とその基本的な価値に対する批評は,社会主義(ことにマルクス主義)において最も徹底している。ファシズムの側からの批評は,一面的であった。その他の立場からの批評には,社会主義に匹敵するほどの大きな社会的背景がない。しかし,思想的には徹底した批評がカトリシズム,プロテスタンティズム,実存主義など,いろいろの立場から行われている。
日本での批評精神の活動は,古代社会の末期12世紀後半から13世紀前半,江戸文化の内部的矛盾が国学の運動となってあらわれた18世紀,19世紀末の明治維新前後,最後に第2次大戦後の現在に著しいといえる。第1の時期には,親鸞や道元が仏教的立場から既存の宗派と既成道徳を徹底的に批評した(これは日本における一種の宗教改革であったということができる)。また藤原定家は最初の自覚的な歌論,すなわち文芸批評の原則を樹立した(これは貴族社会の内部から起こり,激しい社会的変動のなかで,文化的伝統を歴史的に自覚したという意味で,ヨーロッパの人文主義に通じている)。第2の時期には,本居宣長の儒教(およびある程度までは仏教)批評が,論戦の形をとってあらわれ,第3の時期,明治初年には,福沢諭吉らの啓蒙主義的な立場からの文明批評が活発になった。第4の時期,すなわち戦後もまた明らかに批評の時代であった。日本のなかの封建的または前近代的なるものに批評が集中され,その批評の過程を通じて社会の民主主義化を実現しようとする意図があらわれたからである。たとえば文芸は,敗戦後高度の芸術的完成には達しなかったとしても,その批評的な要素においては,大正・昭和のあらゆる文芸よりも豊富であったといえるだろう。
社会主義社会での批評精神の歴史については詳説できない。しかし,市民社会に対しては最も徹底的な批評立場であるマルクス主義が,社会主義社会では急速に教条化し固定したために,批評的機能を著しく失っているということはいえよう。今までのところ,社会主義国の文学,美術にもそれが反映している。
ここでいう芸術は,文学,造形美術,音楽を含む。その作品の批評は,狭義の〈批評〉である。以下そのすべてに触れることはできないから,文芸批評について述べる。文芸批評の方法は,大別して印象批評critique impressionnisteと独断批評critique dogmatiqueに分けることができる。前者は批評の基準を主観的,個性的なものと考え,後者はなんらかの客観的基準を批評の前提とする。しかし極端な主観主義はでたらめに等しく,極端な客観主義は芸術作品の本質といれない。文芸批評の実際は,主観的な印象を通して評価の客観性に近づこうとする努力のうちにある。印象批評と独断批評の区別は,概念的なものにすぎず,こだわってもあまり意味のない区別である。しかしそのことを前提としたうえで,なお批評の方法を分類することは可能であり,有益であると思う。すなわち,(1)美学的批評 これは作品をそれ自身の目的と手段との関係においてみる。技術的な批評はその純粋な形式である。(2)精神分析的批評 作品をその作者の心理的要因,性格,人生との関連においてみる。この種の批評は,精神分析的方法を用いるときに最も徹底するはずである。(3)社会的批評 作品または作者をその社会的背景との関連においてみる。代表的な例は,マルクス主義的批評である。(4)哲学的批評 作品をそこに内在する思想との関連においてみる。たとえばハイデッガーのヘルダーリン論,サルトルのボードレール論などである。(5)記号論的批評 作品の本文を作者および作者の属する社会的環境から独立の記号体系とみなし,その多義的な体系の読みを問題とする。たとえばR.バルトのラシーヌ論,U.エーコの《開かれた芸術作品》である。以上五つの方法は,もちろん組み合わされて同じ対象に適用されるときに,いちばん有効である。ただ一つの方法で対象を十分に説明し,評価することはできない。しかし,前述したとおり現在のわれわれは,既存の価値の体系が全体として再検討されなければならない危機的時代に生きている。別の言葉でいえば,時代は旧来の価値の崩壊と新しい価値の未登場との間で,哲学の不在を感じているのである。こういう状況のもとでは,すべての有意義な文芸批評が哲学的批評の形をとらざるをえないであろう。
日本での特殊な事情は,また美学的批評を著しく困難にしている。文芸の美学的批評のたいせつな基準の一つは文体であるが,文体論の存在しない現代日本語について,客観的に文体を論じることはほとんど不可能に近い。個人的な印象にたよるほかはないが,それだけでは前述のとおり批評として意味をなさない。美学的文芸批評は,どうしても二義的な意味しかもたないということになる。他方,精神分析的批評と社会的批評は,それぞれ一面的であるから,その意味で補助的であり,二義的である。文芸批評の第一義的役割は,文芸作品を通して,われわれがつくりあげようとしている世界像(つくりあげようとしている世界そのもののではない)の素材を求めるということに帰着する。もし世界の総体的理解を哲学というとすれば,哲学の欠けている時代に,哲学の創造に寄与しない精神活動には大きな意義がないだろう。
→美術批評 →文学理論 →文芸批評
執筆者:加藤 周一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
事物の美点や欠点をあげて、その価値を検討、評価すること。狭義に芸術批評、ことに文芸批評をさすことも多いが、広義には政治、経済、科学、スポーツから日常生活に至るまで、人間営為のすべてを対象とする。その文章化されたものを評論という。真の批評の根底にあるものは批評意識ないしは批評精神であり、この意味での批評は批評家の専有物ではない。豊かな文化が築き上げられるためには、時代と場所を問わず公衆の健全な批評意識が不可欠であり、古代においてアテネの市民が実践したところのものであった。批評精神の鈍化・喪失が文明の滅亡につながり、新たな批評精神が新文明の勃興(ぼっこう)につながった例はあまりにも多い。また批評は、形を変えて、人間の精神活動のあらゆる局面に伏在する。バルザック、チェーホフ、志賀直哉(なおや)を含め、東西の多くの作家が批評家を作家の寄生虫ときめつけて批評家無用論を唱え、一方、批評家の作家に対する劣等感もまた覆うべくもないが、作家の創作活動そのもののなかに批評が濃密に存在し、これなしには創作活動の存立自体が揺らいでくるという事実はとかく見落とされがちである。出版者にも、商業主義に毒されることが多いとはいえ、独自の批評意識があり、世評、ベストセラー、コンクールなど多数決の論理もまた個人の批評意識を集約する。
[小林路易]
批評の基本は判断であり、判断は事実判断から価値判断へ、換言すれば真偽・黒白の判断から優劣・長短の判断へと向かう。前者に傾くと「客観批評」となり、後者に傾くと「主観批評」となるが、主観批評は傾きすぎれば独断となる。客観批評と似て非なるものに「裁断批評」があり、これは外的な基準を設け、それに照らして判断する批評方法である。現象界は理想界の映像であり、その現象界をさらに模写する芸術は真実から三重に遠ざかっているとしたプラトンのイデア論哲学に基づく芸術排斥論はその好例である。これに反して「印象批評」は外的な尺度を用意せず、個人的・直覚的な好悪を判断基準とする。アナトール・フランスは「人はけっして自分自身から出ることができない」といい、裁断批評の存在意義そのものを否定した。
[小林路易]
いずれにせよ価値の判断は究極において個人的・相対的であり、よりよきものへの努力が払われているか、よりよきものと比較してどこが足りないか、そしてそのよりよきものとは何かを不断に模索するという高度の精神的葛藤(かっとう)を通して行われる。為政者も一般大衆も、作家も批評家も読者も、つねに政治的・倫理的・宗教的なセクト主義に偏し、人間本来の共通基盤から乖離(かいり)する危険にさらされている。その自浄作用としての批評は、伝統に流されず、時流におもねらず、固定観念や常識を超越したところに位置しなければならない。過去のあらゆる意味での優れた批評の実行者は、多かれ少なかれアウトサイダー(社会からの孤立者)的な要素をもち、例外なく優れたモラリスト(人間の原点を見据える哲学者)であった。
[小林路易]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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