角来村(読み)かくらいむら

日本歴史地名大系 「角来村」の解説

角来村
かくらいむら

[現在地名]佐倉市角来・印南(いんなん)

印旛(いんば)沼の南の台地東端に位置し、東は鹿島(かしま)川を挟み佐倉城下、西は臼井田(うすいた)町、南は江原(えばら)新田村・飯重(いいじゆう)村、北は飯野(いいの)村。東西に成田道(佐倉道)が通り、「利根川図志」に角来より佐倉田(た)町へ渡る橋として鹿島橋を記す。建治三年(一二七七)一〇月一三日の平幹時譲状写(烟田文書)に千葉北庄角来村とみえ、同地などが嫡子亀松丸に譲与されている。近世初頭は葛飾(かつしか)郡のうちとされたようだが、「寛文朱印留」では佐倉藩領として印旛郡のうちに村名がみえる。以後幕末まで同藩領。元禄郷帳では高三五八石余。寛延二年(一七四九)の佐倉藩領村高覚でも同高で、新田改出一斗余、享保九年(一七二四)改出二石余、夫役永九〇〇文余・林下刈代鐚八〇〇文・山銭鐚三六七文・野銭永一六七文、諸役御免五〇石・人馬役御免一〇〇石。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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