日本大百科全書(ニッポニカ) 「印旛」の意味・わかりやすい解説
印旛
いんば
千葉県北部、印旛郡にあった旧村名(印旛村(むら))。現在は印西市(いんざいし)の南東部を占める地域。印旛沼の低地と下総(しもうさ)台地に広がる。1955年(昭和30)六合(ろくごう)村と宗像(むなかた)村が合併して印旛村となる。印旛沼に面する土地の意から命名。2010年(平成22)、本埜村(もとのむら)とともに印西市に編入。交通は鉄道、道路ともに幹線から外れて不便であったが、1969年(昭和44)以来、千葉ニュータウンの建設が行われ、2000年(平成12)には北総開発鉄道(2004年北総鉄道と改称)の延長敷設である都市基盤整備公団鉄道(2004年千葉ニュータウン鉄道と改称)が村の北西部の若萩(わかはぎ)まで進み、印旛村地区初の鉄道駅「印旛日本医大駅」が開業した。また、同鉄道沿いに整備された国道464号も通じる。中世千葉氏の支配を経て江戸時代には一部が佐倉藩堀田氏の所領となった。近世、印旛沼の干拓が進められたが、1969年水資源開発公団(現、水資源機構)によって干拓が完成し、沼は二分された。農村地帯で米が中心的産物である。県立印旛手賀自然公園に含まれ、釣り客が多い。
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『『印旛村史 近世編 史料集Ⅱ・Ⅲ』(1978、1980・印旛村)』