読合堂村(読み)よみあいどうむら

日本歴史地名大系 「読合堂村」の解説

読合堂村
よみあいどうむら

[現在地名]湖東町読合堂

北花沢きたはなざわ村の東に位置し、村名は昔この辺りが仏場で、堂坊があったことに由来するといわれる。江戸時代初期に旗本長谷川領となり、寛永石高帳では高五八一石余。元禄一一年(一六九八)宮川藩領となり、元禄郷帳では高五八二石余。文化二年(一八〇五)の村明細帳写(押立神社文書)によれば田方三八町九反余で高五四〇石余、畑方四町一反余で高四一石余、新開畑五畝で高七斗余、総計四三町一反余、高五八二石余、男一五六・女一四一、家数六〇・寺一、酒屋一があり、酒造高四〇石。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む