三雲(読み)みくも

日本歴史地名大系 「三雲」の解説

三雲
みくも

甲賀郡にあった古代地名。天平宝字五年(七六一)一二月から翌六年八月までのおよそ八ヵ月を要してなされた、石山いしやま(現大津市)増改築にかかわる正倉院文書に、三雲山・三雲川津・三雲橋・三雲寺がみえる。同六年二月五日の甲賀山作所解(以下すべて正倉院文書)や同年四月二八日の山作所告朔解などによると、石山寺造営の用材として甲賀山作所が加工・採集した木材は木の本(伐採された場所)から材引道を引下し、車庭(車に積込む場所)で一部は車に、一部は雇夫に負わせ、「三雲寺」の門前、「甲賀三雲橋本」にあったとみられる三雲川津まで運ばれた。用材は三雲山から買われた檜皮とともに桴に組んで野洲やす川を下り、河口にあったとみられる「夜須潮」に集積した後、石山津に回漕されている。

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百科事典マイペディア 「三雲」の意味・わかりやすい解説

三雲[町]【みくも】

三重県中東部,一志(いちし)郡の旧町。町名は三渡(みわたり)川と雲出(くもず)川に挟まれた地域に由来。沖積低地にあり,東は伊勢湾に面する。古代条里制遺構がみられる。旧伊勢参宮路沿いの星合(ほしあい)は,中世の紀行文や,和歌にその名がみえる。米作のほかイチゴや野菜を栽培,ノリ養殖が行われる。小野江に幕末の探検家松浦武四郎の生家跡がある。2005年1月一志郡嬉野町,飯南飯南町,飯高町と松阪市へ編入。18.89km2。1万1468人(2003)。→曾禰荘蘇原御厨

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「三雲」の意味・わかりやすい解説

三雲
みくも

三重県中部、一志郡(いちしぐん)にあった旧町名(三雲町(ちょう))。現在は松阪市の北東部を占める地域。伊勢(いせ)湾に面し、三渡(みわたり)川と雲出(くもず)川に挟まれた沖積地にある農漁村。旧三雲町は、1955年(昭和30)米ノ庄(よねのしょう)、天白(てんぱく)、鵲(かささぎ)、小野江の4村が合併して三雲村となり、1986年町制施行。2005年(平成17)嬉野(うれしの)、飯南(いいなん)、飯高(いいたか)の3町とともに松阪市に合併。JR紀勢本線と国道23号、42号が通じる。海岸はノリの漁場で、シーズンには潮干狩、楯(たて)干しなどでにぎわう。良質の一志米の産地で、耕地の約80%が水田であるが、イチゴ、キュウリ、トマトなどのハウス栽培も盛ん。津市と接しており、交通の便もよいところから、国道沿いに県中央卸売市場が開設されている。永善寺の木造阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)は国指定重要文化財。北海道開拓に力をつくした松浦武四郎の出身地で、1994年には記念館が開館した。

[伊藤達雄]

『『三雲町史』全3巻(1999~2003・三雲町)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三雲」の意味・わかりやすい解説

三雲
みくも

三重県中部,松阪市北東部の旧町域。雲出川河口の南岸にある。 1955年米ノ庄村,天白村,鵲村,小野江村の4村が合体,三雲村となり,1986年町制。 2005年松阪市,嬉野町,飯南町,飯高町と合体して松阪市となった。地名は三渡川,雲出川から1字ずつとって命名伊勢湾に臨み,伊勢平野の沖積地に位置し,耕地の8割以上が水田で,一志米を産する。ほかに野菜,イチゴ,キク,タバコなどを栽培。農業振興地域に指定。海浜は遠浅で冬はノリ漁場,春は潮干狩り場,夏は海水浴場となる。南東部の小津に県中央卸売市場がある。永善寺の阿弥陀如来座像は国の重要文化財。

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改訂新版 世界大百科事典 「三雲」の意味・わかりやすい解説

三雲 (みくも)

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