日本歴史地名大系 「草津宿」の解説
草津宿
くさつしゆく
- 滋賀県:草津市
- 草津宿
〔中世〕
中世後期に
長禄三年(一四五九)伊勢参宮に向かった雲泉大極は、「碧山日録」同年三月九日条に草津で京極勝秀の軍勢(家臣一五人・兵五千人)と出会ったことを記し、草津から東に折れて七里の「皆口駅」(現甲賀郡水口町)に宿をとっている。文正元年(一四六六)閏二月一二日に田村刑部大輔親直は「勢多郷内草津村地頭職」を山門禅覚坊に代五一〇貫文で売却。文明四年(一四七二)一二月一三日に田村山城守直繁が同額で買戻している(「政所賦銘引付」同一〇年九月三〇日条)。田村氏は室町幕府奉公衆の一員で、草津・野路両村の領主とされる(草津市史)。明応元年(一四九二)九月四日には、第二次六角征伐に参陣した若狭守護武田元信の軍勢が草津に陣を構えたようで、陣内で発生した喧嘩によって、草津宿が放火されている(「蔭涼軒日録」同月五日条)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報