請西藩陣屋跡
じようざいはんじんやあと
[現在地名]木更津市請西 間舟台
嘉永三年(一八五〇)貝淵藩主林忠旭が置いた陣屋の跡。真武根陣屋とも称された。同年の所領は上総国望陀郡一三村、市原郡一五村、周淮郡一村の計二九村・約五千六〇〇石と(「村々銀割賦」高石家文書)、上野国一郡と武蔵国内のほぼ一万石であった(同文書)。林氏は忠交・忠崇と襲封するが、慶応四年(一八六八)忠崇は木更津周辺に集結した旧幕府軍の要請に応じ、四月に真武根陣屋を出発、五月には相州箱根で官軍に敗北して安房館山に引揚げ、そののち奥羽越列藩同盟に加わるために館山港を旧幕府軍艦で出港したが、明治元年(一八六八)一〇月仙台で官軍に降伏。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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