木更津市(読み)キサラヅシ

デジタル大辞泉 「木更津市」の意味・読み・例文・類語

きさらづ‐し【木更津市】

木更津

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「木更津市」の解説

木更津市
きさらづし

面積:一三八・六四平方キロ

房総半島のほぼ中央部の西海岸に位置し、首都圏において都心から五〇キロ圏域に含まれる。市域は東西に広く延び、中央部が狭く、東西二一・九八キロ、南北一四・五キロで、東は市原市、北は袖ケ浦市、南は君津市と隣接し、西は東京湾を隔てて神奈川県横浜市と対する。東部から南部にかけては房総丘陵が連なり、近年は宅地化が進行しつつある。海岸線は約一六キロ、かつては遠浅の干潟を形成していたが、近代に入って埋立が進んだため、小櫃おびつ川河口付近のみが東京湾最大の盤洲ばんず干潟として自然のままに残されている。東京湾に注ぐ河川には、北から清澄きよすみ山系に源をもつ小櫃川、南部の鎌足かまたり地区から市街を貫流して流れる矢那やな川・烏田からすだ川、さらに畑沢はたざわ川などがあり、これらの中・小河川が形成した沖積平野が北西部一帯に広がり、市域の約三〇パーセントを占めている。土地はほとんどが沖積層に属し、砂土が多い。

おもな道路は、東京湾岸を南北に通る国道一六号・一二七号、および同一六号バイパス、東西に貫通する国道四〇九号、市域東部を南北に貫通する同四一〇号などがある。当市と神奈川県川崎市を結ぶ全長一五・一キロの東京湾横断道路の建設が平成九年(一九九七)の完成を目指して進められ、連結する横断道路連絡道や首都圏中央連絡道、東関東自動車道などの工事も進行中である。国道一六号・一二七号にほぼ並行してJR内房線が通り、木更津駅とその北には巌根いわね駅があり、木更津駅から半島の中央部に向かって、君津市の久留里くるり駅を経て同市の上総亀山かずさかめやま駅までJR久留里線が通る。木更津港は昭和四三年(一九六八)重要港湾に指定されて整備が進み、平成四年の統計では外国船は七一五隻(総トン数二五三二万トン余)、国内船は三万八千隻余(同一八六三万トン余)で、取扱貨物量は輸出一三六万トン余、輸入三五五一万トン余、移出三四二六万トン余、移入一〇四九万トン余である(市政の概要)。昭和四〇年から川崎との間を七〇分で結ぶカーフェリーが就航しているが、東京湾横断道路完成後の競合が予想される。

〔原始―近世〕

市域における旧石器時代の遺跡には市場台いちばだい遺跡(下郡)などがあり、貝塚には祇園ぎおん貝塚・よしさく貝塚(大久保)永井作ながいさく貝塚などがある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「木更津市」の意味・わかりやすい解説

木更津〔市〕
きさらづ

千葉県中西部,東京湾にのぞみ,小櫃川三角州に位置する市。 1942年木更津町と岩根,清川,波岡 (なみおか) の3村が合体して市制。 54年鎌足 (かまたり) 村,55年金田 (かねた) ,中郷 (なかごう) の2村および 71年富来田 (ふくた) 町を編入。弥生時代の遺跡と古墳が多く,なかでも上総金鈴塚古墳は有名で,出土品のうち 300点以上が重要文化財に指定されている。近世には年貢米輸送の港町として繁栄した。明治以降は地方商業町,漁港にすぎなかったが,1930年代後半に海軍航空基地が設けられて活気を取戻した。基地跡は現在,陸上自衛隊の駐屯地。 60年代後半に入って,南部の埋立て地に鉄鋼コンビナート進出し,京葉工業地域が拡大するに従って,住宅地の開発が進んだ。内陸部では米作や果樹・苗木栽培,酪農が行われる。港湾も拡張整備され,神奈川県川崎市とは東京湾アクアラインで結ばれる。 JR内房線から久留里線を分岐,国道 16号線から国道 127号線,409号線を分岐する交通の要所。市内に童謡で有名な証誠寺の狸塚がある。面積 138.95km2。人口 13万6166(2020)。

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