諸宗寺院法度(読み)ショシュウジインハット

デジタル大辞泉 「諸宗寺院法度」の意味・読み・例文・類語

しょしゅうじいん‐はっと〔シヨシユウジヰン‐〕【諸宗寺院法度】

寺院法度

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旺文社日本史事典 三訂版 「諸宗寺院法度」の解説

諸宗寺院法度
しょしゅうじいんはっと

江戸幕府の仏教諸宗に対する統制令の総称
寺院法度ともいう。1597年すでに関東浄土宗法度を出しているが,関ケ原の戦い後,1601年高野山あてのものに始まり,個々の有力寺院ごとに発布。'65年各宗に共通な法度9条を公布した。内容本寺・末寺関係の確立,僧侶の階級厳守,寺領売買の禁止,新儀停止などからなる。

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改訂新版 世界大百科事典 「諸宗寺院法度」の意味・わかりやすい解説

諸宗寺院法度 (しょしゅうじいんはっと)

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世界大百科事典(旧版)内の諸宗寺院法度の言及

【江戸幕府】より


【政策】
 国土の平和と繁栄を代償として諸身分が本来的に有していた権利・能力を制限ないし剝奪することで成立していた秀吉以来の支配体制を受け継いだ幕府の政策の基本は,対外的には異文化の侵入から国土を守り体面ある独立を維持し,対内的には諸大名を指揮して百姓,町人の生活を安定させることにあった。国土の繁栄に関係があると当時は一般的に考えられていた宗教と呪術を支配する朝廷や寺社に対しては,幕府は〈禁中並公家諸法度〉や〈諸宗寺院法度〉によって天皇と公家,神官,僧侶が宗教的生活を全うし祈禱や儀式をしきたりどおり行うことを要求した。鎖国は貿易管理の意義もあるが,それ以上に在来の宗教,文化とあまりにも異質なキリスト教文明の侵入により幕府の支配の根底がくずされることを防ぐものであり,琉球,朝鮮,オランダ人などの江戸参府の行列は幕府の統治能力を沿道の貴賤に示すデモンストレーションであった。…

【寺院法度】より

… 元和までの以上のような寺院法度の後にも,寺院法度とみるべきものが出されている。65年(寛文5)の〈諸宗寺院法度〉(5ヵ条の下知状を付す)は,元和までの個別的なものから進んで全宗派に共通するものとして出された最初である。ここでは宗内の法式や本末秩序を乱さず,徒党や異義の禁止に重点があり,ようやく宗派としての体制を整えた各宗派が,自己の手で教団秩序を維持することが期待されている。…

※「諸宗寺院法度」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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