日本歴史地名大系 「諸県巡見日記」の解説
諸県巡見日記
もろかたじゆんけんにつき
一一一丁
成立 文久二年
原本 県立図書館
解説 文久二年正月家老手塚邦之丞・奉行鈴木百助(中都合)は風俗の美悪、下民在着の様子、田畠山林など損益にかかわることなどにつき見分を命ぜられた。二月一二日邦之丞らは勘定奉行仮役鈴木九八郎・検者頭財津十太郎・家老所筆者川崎乾一郎を目付兼として伴い、本領・分知領に向かって出発、一九日に帰着した。「諸県巡見日記」はこの時の記録である。諸県は高鍋藩の飛地。元禄二年藩主秋月種政の弟種封に諸県のうち木脇・岩知野・吉野・嵐田・金崎・堤内六ヵ村三千石が分知され、本領は伊佐生・三名・宮王丸の三村となった。「諸県巡見日記」は巻末に「三名・木脇諸奉公人江被仰渡候事」「三名・木脇諸庄屋江申付候事」「三名・木脇寺社方江被仰渡候事」などとして箇条書され、いずれも邦之丞名をもって「依仰執達如件」と結んでいる。諸県支配に関する記録の乏しいなかで、村方等の様子を知りうる数少ない史料である。
活字本 「宮崎県史」史料編近世4
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報