日本歴史地名大系 「谷中天王寺町」の解説 谷中天王寺町やなかてんのうじまち 東京都:台東区旧下谷区地区谷中天王寺町[現在地名]台東区谷中(やなか)七丁目明治二四年(一八九一)旧谷中村天王寺前(てんのうじまえ)・銀杏横(ぎんなんよこ)町・芋坂(いもざか)を合併して起立した。東は上根岸(かみねぎし)町、谷中本(やなかほん)村(現荒川区)、西は谷中茶屋(やなかちやや)町・谷中初音(やなかはつね)町二―三丁目、南は上野桜木(うえのさくらぎ)町、北は日暮里(につぽり)村(現荒川区)。江戸時代はほとんどが天王寺(旧感応寺)の境内で、明治以降は他の寺地とともに谷中村へ合併された。天台宗吉祥院は初め出羽羽黒山末で霊巌(れいがん)島(現中央区)にあり、明和二年(一七六五)天台宗に転じ、寛政二年(一七九〇)に谷中感応(かんのう)寺境内を借地して移転した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by