日本歴史地名大系 「日暮里」の解説 日暮里につぽり 東京都:荒川区日暮里古くは新堀(につぽり)または入堀と書いたが、江戸時代中期頃には日暮里、「ひぐらしの里」といわれるようになり、つつじの植えられた寺院の庭園が続く江戸名所の一つともなった。その範囲は谷中感応(やなかかんのう)寺(現台東区天王寺)裏門辺りから道灌(どうかん)山方面をさし、現在のJR山手線・京浜東北線・常磐線をまたいだ東西一帯にあたる。西部の台地には寺院が多く、東部の低地には農村が広がっていた。新堀村と谷中本村の総鎮守諏方(すわ)神社の境内は諏訪(すわ)台とよばれ、ここからの眺望を同社別当浄光(じようこう)寺の住職宝山は諸家の詩歌に求め、享保一三年(一七二八)「日暮里浄光寺八景詩歌」を定めている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) 「日暮里」の意味・わかりやすい解説 日暮里にっぽり 東京都荒川区南西部にある町名。古くは新堀(にいぼり)で新開拓地の意という。山手(やまのて)線日暮里駅、西日暮里駅、京成電鉄日暮里駅がある。日暮里・舎人ライナー起点の日暮里駅北西の山手台地末端の道灌山(どうかんやま)は、近世からの行楽地で、春の桜、秋の紅葉が美しく、日の暮れるのも忘れるということで、1889年(明治22)正式に日暮里の字をあて町名としたもの。西日暮里のうち山手線内側は、谷中(やなか)に続く寺町、外側は通りの金融機関を囲んで印刷・めっき工場などが多く、東京下町の工業地域を形成している。[菊池万雄] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「日暮里」の意味・わかりやすい解説 日暮里にっぽり 東京都荒川区南西部の地区。小田原藩北条氏の家臣遠山氏の居館があった頃,堀が造成されたことにより「新堀」といわれた。のち「ひぐらしの里」とも称されるようになり,日暮里と書くようになったといわれる。 JR山手線以西の台地には特に寺が多く,江戸時代から明治期にかけては,風流人の散策地で知られたところ。山手線以東の低地は,小工場,商店,住宅の混在地区。 JR日暮里駅は京浜東北線と常磐線の分岐点で,京成電鉄本線と接続する。東京地下鉄千代田線西日暮里駅がある。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by
百科事典マイペディア 「日暮里」の意味・わかりやすい解説 日暮里【にっぽり】 東京都荒川区南西部地区。東部の道灌山の台地を除き大部分が低地で,小工場,住宅の混在地域をなす。常磐線,東北本線,京浜東北線,京成電鉄本線,地下鉄千代田線が通じ,日暮里,西日暮里両駅がある。→関連項目三河島 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報 Sponserd by