豊富郷
とよとみごう
近世の郷名。なまって「とよずみ」「といずみ」とよばれ「豊住」とも書かれる。
福知山藩(朽木氏時代)では領内を四郷に分けて管轄したがその一郷であり、おおむね和久川流域(豊富谷)の諸村をさした。天明二年(一七八二)三月の奥野部村庄屋の覚書(「福知山領田高畑高控」芦田重左衛門家蔵)によると豊富郷は、岩井・奥野部・和久寺・大門・新庄・半田・今安・小野脇(今安村の枝村)・拝師・榎原・石場・北山・畑中・樽水・談・小牧・下戸(小牧村の枝村)の一七ヵ村(七千四三六石余)である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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